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コーヒーのルーツを訪ねて


さて今回はちょっと昔話を。


2005年1月11日~1月23日までコーヒーのルーツを求めてイエメンとエチオピアを旅して来ました。

関西空港からアラブ首長国連邦のドバイ経由でイエメンの首都サナアに入りました。

以前のnoteにも記しましたが、最初にそのルーツの根拠となる、コーヒーの発見伝説の主なものを2つご紹介すると

<イエメン説(回教説)>

【イスラム教の僧侶 シェーク・オマールの伝説】

13世紀の中頃、罪に問われてアラビアのモカ(現イエメン)から追放されたシェーク・オマールは、食べる物もなくオーサバという土地をさまよっていました。
すると、小鳥が赤い実をついばんで陽気にさえずっているのを見たのです。この実を採って煮込んでみるとすばらしい香りのスープができ、飲むと心身に活力が湧いてきました。
その後、彼はこの赤い実(=コーヒーの実)を用いて多くの病人を救ったことで国王に罪を許され、モカへ戻ることができました。そこでも多くの人を助け、後には聖者として崇められるようになりました。

オマールの伝説



<エチオピア高原発見説(キリスト教説)>

【ヤギ使いカルディの伝説】

アフリカにイスラム勢力が隆盛を極めていた頃、エチオピア南部のアビシニア高原には野生のコーヒーが長いこと人目に触れることなく育っていました。
ある日、放し飼いにしていたヤギが赤い実を食べて興奮しているのを見たヤギ飼いのカルディは、修道院の僧侶と相談してその実を食べてみました。すると、全身に精気がみなぎり、気分がスッキリしました。それ以後、僧侶たちが夜の勤行の際に眠気ざましとして、この赤い実(=コーヒーの実)を煎じて飲むようになったのです。

カルディの伝説



視察から帰って、皆さんから 

エチオピアはなんとなく分かるけど イエメンってどこにあるの? どんな国なの?

と質問をたくさん受けました。

そこでイエメンの説明を少し。

yemen地図


中東の最南部に位置するイエメン。
あまりイメージに無いかもしれませんが、実は、イエメンもコーヒーの生産国なんです。

日本でもなじみがある「モカ」というコーヒーの名前。
その名前は、実はイエメンで生まれたもので、
コーヒーを出荷していたイエメンの「モカ港」という港の名前に由来しています。
今でこそ、コーヒーのフレーバーを説明するために使われたり、エスプレッソとチョコレートを混ぜたものを「カフェモカ」と呼んだりと、様々な場面で使われている「モカ」ですが、もともとは産地名を示す名前だったんです。

さらに、コーヒーが嗜好品として飲まれるようになったのは、イエメンのイスラム教徒が夜遅くまで起きてお祈りするために飲んだのがはじまりとも言われており、イエメンのコーヒー産業には数百年の歴史があります。
実際に、コーヒー産業は石油産業に次いで、イエメンの重要な輸出項目の1つとなっています。


そんな歴史あるイエメンのコーヒーですが、2014年ごろから続く内戦の影響でコーヒーの生産量が減少しています。
内戦の前、コーヒーはサヌアからアデンに運ばれ、輸出されていました。
しかし、現在は幹線道路を迂回する必要がある上、武装勢力の検問所が100箇所近くあり、とても危険な状態だそうです。
農家さんもコーヒーの出荷が難しくなり、収入の手段が奪われてしまっています。

また、カートと呼ばれる、興奮、覚醒作用のある植物の摂取の流行もコーヒーの生産量が減った大きな原因です。
コーヒー畑は、より儲かるカートの畑に植え替えられ、水資源の枯渇や農地の汚染も問題となっています。

現在イエメンのコーヒーは非常に入手しづらいコーヒーと言ってもいいかもしれません。


では視察の話に戻りましょう。

イエメンのコーヒー屋さん

イエメンのこーひ^屋さん



そして、イエメンコーヒーのほとんどが船積みされるという輸出港ホディタへ。
途中輸出業者のハンドピック場を見学。100人ほどの近隣国からの女性が働いていました。マタル地方とイスマイルのコーヒーをハンドピックしていました。

珈琲発見伝説の地「ウーサブ」にも立ち寄りましたが、現地の人はその伝説を知りませんでしたし、コーヒーの栽培も当時は行われていませんでした。


コーヒーに携わる者なら聖地ともいえるモカ港に。モカ港では漁船に乗り、海からかつての旧市街モカを見ることが出来ました。すでに廃港で荒れるがままと言っていましたが、
水の色は緑青できれいでした。その色は昔と変わりないのでしょう。

イエメン第2の都市タイズではスーク(市場)を見学、市場で焙煎機の姿を見て驚き、香辛料と共に売られているコーヒーにも驚きました。イエメン人がコーヒーは昔からそこにあったという産地オデインでは、自然のままで栽培されるコーヒーの木に出会いました。
しかし今シーズンは水不足で収穫なしとのこと。わずか1本の木に花と実を見つけました。

収穫イエメンの



イエメンの首都サナアからエチオピアの首都アジスアべバヘ。さらに国内線でディレダワに飛び、また、4WDでハラールの町に向かいました。

途中名産地べデノに立ち寄り、ディレクターの倉庫を見学し、コーヒー豆のにおいを嗅ぎました。それはスパイシーで甘い香りがしました。

ディレダワに鉄道が敷かれるまではハラールがコーヒーの集散地だったそうで19世紀末頃までは町の周辺にもコーヒー園があったそうですが全くありませんでした。

そして旅のクライマックスであるハラール州の奥地、ガラムラタ山南斜面にある、現存するおそらく世界最古のコーヒー栽培地であるジェル・ジェル・トゥー村を訪れました。

収穫エチオピアの


標高2200メートル日陰を作る大木の下にコーヒーの木が林立していました。
高さが6~8メートル、幹の直径が20センチぐらい幹周りが60センチもある100年以上の木もありました。

これがアラビカ種のおかあさんアビシニカだと輸出業者の社長さんが力説していました。採集は5~6メートルの木3本を頭部で結び合わせ組んだラダーと呼ばれる三脚の上で黒く完熟した実だけを摘んでいました。赤いうちは摘まず全て黒くなるまで待っています。この摘んだ完熟実を各農家で月のウサギが突いているような臼でつき実を取り出します。それをコレクターと呼ばれる人と計量の上、価格交渉し売り渡します。それを袋詰めしたものをせりに出し輸出業者が買い付けます。せりを通さずに取引する場合もあるそうです。
イエメンもそうですがエチオピアも品種改良されず、化学肥料も除草剤も使わずむかしのままでこれこそ正真正銘のオーガニックです。

<エチオピアのコーヒーセレモニーの写真>

エチオピアの


今回は昔の視察日記を記してみました。

ではまた。

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