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大正14年築 洋館建築のある古民家

大正14年に、日本の伝統建築様式である母屋が建築され、昭和初期に「一間洋館」と呼ばれる建築様式である中2階が増築されました。
洋館風の建築様式は、当時、町の小さな医院などで流行しました。

表題の画像は、1955年の画像です。所有者様のお父様がお正月に撮影されたものです。
現在の洋館部分の外壁は、平成の時代にサイディングに打ち直され、少々趣は無くなっております。

玄関は日本建築らしいたたずまいを残しています。

古民家内覧会中

玄関は、武家屋敷風「式台形式」

格式のある造りです。

武家屋敷は、討ち入りの危険があるため、玄関を入ってすぐには居間へは行けないように「三畳のお出迎えの間」が必ずあるのです。

玄関前の三畳の間

お出迎えの間からお台所へ通じるフロアには、調度品である手作りの家具がディスプレーとして置かれてあります。

両側に取っての付いた長持ち式箪笥も存在感を表しています。


日本家屋は、薄暗い中にも趣を感じさせる光の取り込み方をしています。
雪見障子のある客間です。↓


隣接するリビングは洋室にしつらえております。

ちょうどこの日は、雅楽の龍笛の奏者の方に来ていただき、内覧に来てくださった方に演奏をしていただきました。

日々の雑踏から離れ、煩悩から解き放ってくれたようで、清々しい音色にうっとりとしました。

奏者の後ろに広がるのは幅広の縁側と築山式のお庭です。

では、これから中二階をご案内いたしましょう。

中二階には、先ほどの外観に見えていた観音開きの窓のあるお部屋がございます。

さらに、2階へあがってみましょう。

この家は、かつて代々教育者のお家柄で、教育長も務められていらっしゃいました。文教会館に碑があらせられます。
当時の書斎のデスクとイスも残しておいてくださっています。

世の中、プラスチック製品ばかりになり、木でできた手作りの家具は、今や高級品です。

昭和の金庫もあります。

高知大空襲も経験したお家です。
玄関の格子欄間に焼夷弾の焼け跡を今も残しています。
朝日新聞と高知新聞に記事が載っています。

なんとか、歴史を繋いでいきたいものです。

何を隠そう、この新本町の北に位置する「高知市昭和町」という地名は、先代の家主様が名付け親でございました。

さて、昔のお家は先人の知恵がふんだんに取り込まれています。
床が高く、風がよく吹き抜けるお家です。


古民家は、そこはかとないリラクゼーションを体感することができます。

物件場所;高知市新本町1丁目10-17
高知駅北から徒歩5分

実は、残念なことに 2019年12月5日 正午頃、この建物は火災で焼失してしまいました。原因が不明のまま、更地になって売却が決まり、今では新しいお家が建っています。
火災の当日、すでに賃借人が決まったという事で、家主様による片付けも終わり、中身は空っぽ、最後ブレーカーも落としていましたので、火災の原因となる物は一切ありませんでした。
唯一、火災の発生する1時間前には、お片付け業者によるエアコンの室外機の切断が行われていました。電気の容量を超える電動カッターの使用が、配線のショートを起こしていたため、その部分から発火したのではないかと推測しています。
最後に鍵を閉める時、ブレーカーを確認した際、業者が電源を取ったコンセントあたりの部分のブレーカーレバーが落ちていたのを記憶しています。

火災による焼失後、家主様がお片付け業者に問い合わせた際、保険を掛けていないとの事で、また、その業者が古民家再生を専門にしている数少ない業種の雇用人という事もあり、結局厳しく追及する事もしませんでした。

その後、ご近所の方々からの情報提供も合わせて不可解な事があったことを備忘録としてここに残しておきたいと思います。

①隣近所のお家に見知らぬ人がピンポンを押して「隣が火事ですので逃げて下さい」と知らせてくれた。
②東隣の隣人が第一発見者で、隣でパチパチと音がしているので、見たら庭が燃えていた。(恐らく切断した室外機当たりだと思うのですが、庭だとおっしゃています。)
③消防車が来たときは、まだ庭だけが燃えていただけで、ここにお水を掛けてと言ったのになぜか消防士は人命救助が先だと言って、二階の窓に向けて放水していた。空き家だから誰も居ないのよと言ったが聞き入れてくれなかった。5分後に急に風向きが変わり、一気に火が家全体へと燃え広がり全焼してしまった。

もう一つ、近隣では数か月前から不審火による火災が2軒ほどありました。
火災当日も、午前中から業者を入れて片づけをしている時に、通りすがりの自転車の男の人が、空き家になるの?と声を掛けてきたり、

火災の数十分前になるだろうか、まさに鍵を閉める直前ですが、玄関口に中年の女の人が見を乗り出してまじまじと中を眺めて、襖がえいねえ…と声を掛けてきたり、

考えると、何もかもが怪しく感じてしまい、原因が分からない上、二度と取り戻せないもどかしさにずいぶんと落ち込みました。

古民家は燃えやすい・・・。
苦しくも、燃え残った部分はサイディングでリフォームした壁の部屋でした。

あの時、異常と思われることは無かったか全ての記憶を手繰り寄せて、手繰り寄せて、手繰り寄せて・・・。
火災発生およそ1時間前、片付け業者が室外機を切断し終わって、ガス屋さん、トイレの水漏れを見に来た設備屋さんも居ました。
私が最後に2階の確認を終えて階段を降りる際に、ぬかみそが腐ったようなキツイ臭いがしたので、思わず「なんかぬかみそが腐ったような臭いがする~」と叫んだのでした。1階に居た業者さん達は、いやそんな臭いはしないよねと否定したのでした。
もしかしたら、あの時すでに天井裏で電線の漏電が発生していて、古民家の天井裏は長年の埃やゴキブリ、ネズミの死骸があって、それが燃えている臭いだったのかもしれません。

意気消沈して藁をもすがる思いでいた私は、修験道をかじったという霊感アルアルの老女の知人がいたので、事件の一部始終を話すと
「変なにおいがしたら不浄物霊が居ると思え」との事。

いや、それは信じない。
やはり、おの変な臭いに異常を感じていればもしかしたら火災を防げていたかも知れないと思うと悔やみきれない。

もう一つ、その老女が言うには
「家が賃借人を嫌ったんだよ」と。

思えば、後々知った事であまり詳しくは記載できないけれども、もしもあのまま貸していたら、家主さんも仲介業者である私もとんでもなくめんどくさい事に巻き込まれていただろう事は想像できたのである。

奥ゆかしい古民具たちは、賃借人予定の方に使ってもらおうとお家に残していたので、当然お家もろとも焼失してしまったのですが、
賃借人が要らないと言った古民具たちは、実は私が捨てるにはもったいないからと、家主様にお願いして離れたところにある倉庫へ避難していて無事だったのでした。その子たちは皆、古民具好きの方々へ貰われてゆきました。

運命とは不可思議なものです。


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