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神田日勝と三岸好太郎

本日の目的。

札幌の街は碁盤の目状で、案内も多く歩きやすい。しかし、すべてがひろびろとしており、やたらと歩かねばならない。遊歩道は土の道なので、トランクを持ち上げて歩くと汗ばんだ。からっと涼しく、きもちいい。 

三岸好太郎は友人から教えてもらった。府中市美術館で観て気にいるも、その後なかなか再見できず、今日は念願の三岸好太郎美術館へ。修学旅行の中学生と被ってしまったけど、のんびり過ごすことができた。蝶や貝の画が好みだったが、肖像画にもすこぶるよいものがある。

神田日勝との出逢いは、北海道新聞に載っていた(一面にでかでかと)『室内風景』である。叔母が「すごいよ」と興奮してみせてくれたのだが、子どもの自分にはただただ恐ろしかった。裸電球、りんごの皮やサカナの骨、グニャリと放った人形、そして膝を抱えた不吉な顔の男。背景は新聞記事である。なにか生臭さまで届いて、忘れられない画となった。

高校生の頃だったか上京する前に、道立美術館で『室内風景』を直に観た。すでに心を奪われていたのだ。

そして今回三十余年ぶりに道立美術館で再会すると、生き生きとした好ましい画に変わっていた。いつか日勝の生きた十勝・鹿追の美術館へ行きたい。

好太郎と日勝の生きた時代は異なるし、人物としてもまったく別物だが、似ている点もある。ふたりは三十余の短い生涯で、そのうちの十年余の間に試行を繰り返し、たくさんのよい画を残した。