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シーシャとギネス。

 僕には夢がいくつかあった。それは人に言ったら鼻で笑われたりする種類の夢であったんだけれども、僕にとっては確固たる夢であった。ひとつ、酒に飲まされるのではなく、酒を嗜好すること。ふたつ、上手に煙草を吸うこと。みっつ、眠りに逃げないこと。もうすでにお分かりいただいたかも知れないが、僕はずうっと昭和の男達に憧れている。節々から滲み出る、河島英五や尾崎豊の影響…しかし、それが純然たる憧れなのだから仕方が無い。

 僕にとっての酒は憧れであり、夢である。思えば、憧憬を果たすような飲酒ばかりであった。『もしも僕らことばがウイスキーであったなら』を読んでから、熱心に勉強したスコッチウイスキー。「Piano Man」を聴きながら飲んだジントニック。安全地帯ならワインだし、ブランデーと言えば石原裕次郎。文学、音楽、映画…あらゆる文化の土壌とも言えるのが酒であるのだと、二十歳の若造は確信している。

 僕はわりに変化が好きな性分だから、あまり自身の遍歴に関心が無い。一年も関わりがなければ縁が無いということでLINEも消してしまうし、過去を語らうタイプの飲み会にも顔は出さない。だいたい、二十歳やそこらの段階で中高の思い出を反芻するような人は嫌いだ。そのような話は酒の肴に相応しくない。酒には知的な話やワクワクするような話が一番だ。しかし、それを理解してくれる人は僕の周りにいない。彼らの目的は大体騒ぎたいか、酔っ払いたいかのどちらかだ。つまり、酒が好きなのではなく、飲み会が好きなのだ。大学生の段階で何の憂さ晴らしが必要なのかを僕には理解出来ないが、彼らも彼らなりのストレスがあるんだろう。他人のことは皆目知りようがない。

 だから、僕はしばしば独りで飲み歩く。自分だけが崇高な人間だと、他人を卑下してもしょうがない。僕は僕で、人は人。大好きなお酒を誰にも邪魔されずに楽しめるのは心地良い。いくら株や仮想通貨が好調であってもいち大学生の懐事情はわびしく、頻繁にこの祭式を開催することはできないんだけれども、思い立った時にどこかの横町を闊歩している。

 「ひとりで飲んで何が楽しいの?」と訊かれることが多い。もしくは「大人だねぇ」と物珍しい動物を見ているかのような目で諭される。正直、最初は自己陶酔的な側面が強かった。憧れに近づいている自分と、背丈に合わない酒との狭間で酔っぱらい、嬉々としていた。思壮期?とも言うのだろうか、身体的な成長に置き去りにされていた精神の詰めの時期だった。平たく言ってしまえば、「尖って」いたのだ。無意識に周りを見下し、自分の現状を憂いていた。理想の自分を慈しみ、過去の自分を悔やんだ。見えざるものに飲まされていたのだ。

 そんな時に役立ったのが、僕が身を置いている人文社会的な学問だった。どうでもいいことをあれやこれやと考えることは、こんな時回転木馬みたいに巡ってくる。自分は自分、他人は他人。上っ面だけで理解していた言葉が、ストンと腑に落ちた。その劇的な瞬間を写真に収めることは出来なかったけれど、僕は唯一無二の僕だと気付いた。我儘になれた。我儘と言うと、どうしてもネガティブな意味が付随してしまうけれど、僕は一種の悟りだと思っている。誰だって子供の頃は我儘だった。それが、制服を着て、社会生活を営んで行くうちに、失われていくだけなのだ。いや、「失う」のではなく、「隠す」が近い。字義的には、自分の気持ちに正直に生きることが「我儘」なのだ。

 僕は我儘を取り戻したことで、随分生きやすくなった。やりたいことをやる。これに尽きる。書きたいものを書き、観たいものを観る。とてもシンプルだ。判断基準は、他人ではなく自分におく。当たり前のようで、これを悪とする雰囲気が跋扈している。しかし、周りは関係ない。判断基準は常に自分であるからだ。

 

 僕は酒を嗜んでいる。お気に入りの場所は、オリエンタルバー。カウンターでシーシャを吸いながら、ギネスをゆっくりと飲む。読みたい本があればそこで読むし、あれやこれやと様々なことを考える。パラドックスやら哲学的な命題やら…かっこつければそういう言い方になるのだが、要は思ったことや感じたことをひとつひとつ立ち止まって思考しているだけだ。この文章もそんな感じで書いた。とりとめのない散文ではあるけれども、それはそれで心地良い。

 

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