芋煮の神様。

仙台には、芋煮という奇妙な風習がある。銀杏臭い路地を抜けて、河原に出て豚汁をつくるという風習だ。なぜそれを芋煮と呼ぶのか、その起源を正確に知る人はいない。しかし、仙台人はこの芋煮という行事を心から待ち望み、その日だけはどんちゃん騒ぎに皆寛容である。ある種の祝祭性をも、芋煮は帯びているのだ。

日本人とは、いかなる場所にも神様を見出そうとするきらいがある。はて、芋煮の神様はどこにあるのだろう。相撲の神送りの儀式に当たる儀礼は、消えてしまったのか、もともといなかったのか。しかし、あの楽しさは確かに浮世離れであり、そこに神様がいてもなんら疑問を持たないのが面白い点だ。

もしかしたら、芋煮の神様は我々の中にいるのかもしれない。僕の中にも小さくない神性が…そう思うと、少し胸を張って歩ける。芋煮の神様は、毎秋我々に合図を送る。我々は神様の命に従って、存分に楽ませていただくのだ。。

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