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ヨロイマイクロノベルその22

211.
うまいもん食わせてやるよ。叔父と林の中を進む。枝先に丸くて白いものがつるされている。半分に割って渡された。噛むと甘い。うまいうまいと叔父が泣く。それを真似する。余韻もなく来た道を戻る。指先には白い粉がついている。背後からぼたぼた音が鳴り続けるが叔父は振り向かない。

212.
初冬の野草刈り。茎の切断面から「君は悪くないよ」とささやく汁が滲む。強く握って絞り出す。ずっと耳心地のいい声で肯定してくれる。手の匂いだけが不快だ。垂れた汁がつま先でじゅじゅと音を立てる。持ち帰るのは厳禁で麻袋に詰めてその場で燃やす。灰色の煙が描く「ラヴ」の文字。

213.
朝焼けを背負いマウンドで男が芋を焼く。「サイドスローだったんだ」。プレート上に立てた一斗缶を時折のぞく。私は犬と共に日課のダイヤモンドを一周(実質2点)したあとだった。煙のかからない位置で見守る。男は一度ホームへ視線を向け、缶に左腕を伸ばす。サウスポーだったのか。

214.
冬の空き地に「王国」が生まれた。具現化した文字を人々は囲んだ。国から王を引きはがそうとする者もいる。それは微塵も動かなかった。北風じゃない、太陽だ。誰かが言った。数人が王国を取り込み、拍手と歌で称えた。涙も流した。季節が緩慢に進み、空き地以外のところで花が咲いた。

215.
楽しみだった「うらめしや」のために舞い戻ったところ、寒さに唇が震えて何も言えやしない。衣装を変えたらうらめしさは消滅してしまう。現実は厳しいと死後も口にするとは。結局、ライトダウンジャケットは最強。うらめしは来世に取っておく。ただ、野犬からめちゃめちゃ吠えられる。

216.
箱庭の樹に赤い実が一つ生った。部屋が暖かいからだね。ライダースジャケット姿の恋人が汗もかかずに言う。癪に障ったわたしは果実を黄色に塗り替えたくなった。あまりに小さいせいで手先が震える。寒いの? 恋人がやさしく訊く。ペン先は揺れ、樹の横の水車群が一度に黄色く染まる。

217.
みんな帰ったはずなのに玄関でにぎやかに靴音が鳴る。ケーキやチキンの残骸を捨て、赤ワインの残りをシンクに流す間も音がする。テーブルが片付き、一人眠りにつく。油の匂いが染みた髪が鬱陶しい。不規則なリズムは続く。酔いが回っているせいか、ときどきもたつきながら誰かが踊る。

218.
左肘のかさぶたが剥がれ、うすい桃色の皮膚が生まれる。そこに小さなフェルマータが描かれている。苦労しながら拡大鏡で覗く。その記号はゆっくりと点滅し始める。かつての傷が染みる。強い痛みは遅れてやって来る。小指のはらでマークに触れる。わたしは長い間、息を吸うのを忘れる。

219.
ふざけてお互いのお腹に書き合った「あいしてる」が夜中に動き回り、くすぐったくてたまらない。特に元気な「る」が跳ねると笑い声を漏らしてしまう。静かに眠る恋人のシャツをめくる。わたしの文字は滲んで読めない。こっそり「ねこになれ」と書き足す。寝言で恋人がみゃあと応える。

220.
透明な容器の中で水銀は変形し続ける。私はそれを記録する。新幹線の先頭車両から旧式のUSBメモリーを経て、一旦形を無くしたところだ。サイや塔はとっくに終わった。やがて流体は緩やかに固まりだす。私はペンを強く握り、ジェスチャーゲームのような気分で鈍く光る異形を眺める。



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