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「ペノキヨ」

 穂積ペノキヨもまた嘘をつくと鼻が伸びるが、生まれながらの人間だった。両親とは早くに死別して、爺さんに育てられた。
 嘘は人を傷つける。それはペノキヨにとって物理的な意味合いを持つ。激しい反抗期はなかったが、何度となく爺さんを殺めそうになった。爺さんの額には忘れられた星座みたいな、鼻突き痕が残る。
 
 思春期のさなか、ペノキヨは決意した。俺はモノマネ芸人になる。物心ついたときから、温めていた夢だ。十六歳を過ぎたある晩、爺さんに告げた。今や、ペノキヨの正面に立たない。そんな爺さんが顔を間近に寄せて問う。
「本気でなりたいのか?」
 力強くうなずく。爺さんは、ひゃああ、と声をあげ、見えない何かを避けようとした。
 
 芸の道を進むにあたり、師匠が欲しかった。必要だと思った。亡くなった父は芸能絡みの仕事をしていたらしい。爺さんからそのあやしくも細い伝手を聞き出し、上京した。
 
 清水アキラと対峙した瞬間、ペノキヨはすくみ上った。すでに引退した清水に思いが届くかどうかはわからない。だが、決意は揺らがない。体質のこと、両親のこと、モノマネ芸人への熱い気持ち。すべてを洗いざらい話した。そこに嘘偽りはなかった。
 話を聞き終えた清水は、にやり、と笑う。
「俺なんて、逆に、テープを駆使して鼻の脱構築に腐心してきたわけよ。まあ、俺に教えれることはわずかかもしれないけど、芸事ってのは、思惟思弁の道だよ。お前さんの嘘に縛られたその性質、生まれながらにカント的命題と向き合っている、とも言える。それってすごいことなんだよ、わかるかい?」
 ペノキヨは、はい、と答える。鼻が清水の首元を突き刺しそうになった。
 
 弟子入りしたからには、これまで以上に嘘は厳禁だ。ただ、どうやってもこの体質は治りそうもない。だから正直に生きると決めた。
 モノマネをしても鼻が伸びる。清水もまた真向いに立たない。威力を軽減させるため、鼻先をテープでぐるぐる巻きにされた。それでも清水家のあらゆるものを破壊した。大切なトロフィーや花瓶、テレビを突き刺した。壁に掛けられた淡谷のり子の肖像画にも襲いかかった。
 
「アンコウちゃんには捨てるところがギョざいません」 
 さかなクンでも鼻が伸びた。心が嘘を吐いているからだ、と師匠から叱られる。細かい修正や指導はない。だが、レパートリーにはないはずの手本を見せてくれる。声だけでなく独特の弾むような動きさえ、よく特徴を捉えている。やはり一時代を築いた男は違う。
「ドーナツとちくわ、どちらの穴のほうが食べ残ししやすいと思います?」
「ちくわに穴って空いてました?」
 佐藤栞里と滝沢カレンの蒟蒻問答的会話にも挑戦するものの、似てない以前に鼻の伸びが異常だった。隣家の鉢植えまで破壊した。特に滝沢のマネがひどく、栞里のおよそ三倍のスピードと威力を出す。
 
 修行の成果は出ないが、鼻は伸びる。ペノキヨは落ち込むばかりだ。次第にある実感が湧いてきて、それはやがて確信に変わった。
「俺がやりたいのは猫八師匠のような、動物のモノマネなのだ」
 この事実を言い出せず、清水の前ではこれまで通りの練習を続けた。夜には公園で一人、鶯の鳴き声にも打ち込んだ。顔をあげ、小さく囀る。暗い虚空に鼻が伸びていく。
 
 弟子入りから一年以上が経ち、初舞台の場を用意してもらった。狭い箱だが師匠の知名度を借りて満杯になった。この日のために芸名もつけてもらう。鼻頭ザ暴君。字画はいいよ、と清水が言った。
 
 早々に鼻は伸びて、壁を突き刺した。なぜか大爆笑が起こった。舞台袖に立つ師匠の様子を確認する。鼻が振り回され、客席から声があがった。清水も笑っていた。それがうれしくてたまらなかった。正面を向くと鼻が薙ぎ払われ、拍手笑いが沸き上がる。
 爺さんの姿も見えた。鼻を恐れてか、時節によるものか、本格的なフェイスシールドを装着していた。
 
 肝心のモノマネはまるでウケない。会場が冷めていく。覚悟を決め、誰にも見せてこなかった鶯の鳴き声を始める。唇に添えた指先が細かく震えている。
 ペノキヨは鳴き続ける。声が安定してくる。どこかから蝶が紛れ込む。客たちはペノキヨ本体よりも、その鼻に注目している。ひらひら舞う蝶が先端に留まり、羽を休める。
 会場が大いに沸いた。蝶は静かに飛び去る。一転、鼻がゆっくりと縮んでいく。
「ここでサプライズです! この人が、今晩だけ、復活いたします!」
 イントロが流れる。橋幸夫になった清水が袖から現れる。当然、赤白ボーダー柄の水着姿だ。師匠はまだ長いペノキヨの鼻の下をリンボーダンスの要領でくぐる。逆側からもくぐる。この日一番の笑いをさらっていく。
 鼻は尚も縮む。せっかく師匠と俺の鼻が絡んでいるのに。そう思うものの、いざとなると肝心な嘘が思いつかない。
「わたくしはこの鼻が憎くてたまりません」
 必死で絞り出した。本心かどうかもわからない。なぜか、鼻がめきめき太くなる。それは勢いよく膨張し、厚みを増す。恋のメキシカンロックが鳴り響く中、リンボーダンスの難易度だけが上がっていく。

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