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文豪と原因と結果の法則

なぜ文豪になりたいのか。いくつか理由があるのだが、ひとつに5年に一度バーストしてしまう、人生を踏み外してしまう原因について考えてみたことにある。平常運転で高いポテンシャルを発揮しクオリティの高い仕事ができるのであればそれでよし。ところが私の場合、一時の興奮によって生まれたエネルギーによってそれを叶えていた。一時の興奮でもポテンシャルが上がるのであればそれはそれで良いことではないか。それはその通りなのだが、問題はその先にある。その興奮をなんとか維持しようであるとか、なんとか興奮を引き出そうと無理をしてしまう。どうやら興奮しないと結果を出せないと思い込んでいる節があり、そこから生まれる強迫観念に取り憑かれてしまっていた。興奮しないと維持できない、そんな危ういものに命運をかけた日々を送る……今回は、いや、これからは「送っていた」と過去形にしたい。長い間そうやって無理をし続けていると、その無理がたたって妄想と現実の境目が曖昧になってしまう。それがどうやら私の限界であり、今回の文筆に関しては、無理して背伸びした上に、精一杯手を伸ばせるだけ伸ばして、あげく足元は納豆の糸ごとき上を行く。そんな綱渡りのような所業ではなく、そもそもの底力が、平常時における自らのポテンシャルが高く在ること。願わくば一流の域に達していることを、心から願っての発露であった。そのためには、どの程度自分に力量があるのか確かめておく必要と、至らぬとわかったにしても、どうにかなる余地がそこに残されているのであれば、挑み燃やし尽くしておきたい。そうやって日々残り少なくなっていく人生の選択肢をひとつひとつ潰していく。ありがたいことにそうやって人生の選択肢なるものを潰していくという、なんら生産性のない作業を行える時間だけは手に入れることができた。5年に一度のバーストとウイルスのおかげで。狂うことなく、背伸びすることなく、平常時における高いポテンシャルが担保されている。詰まるところ「文豪になりたい」というよりも「文豪でありたい」という方がこの場合はしっくりくるのかもしれない。と、今これを書いていて気がついた。長年、そんな生活を送ってきたのだから、少しは自らの「底」も上がってくれているのではないか、という薄ら淡い期待を抱いてもいることも

本日もご精読感謝🙏

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