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小さな子供と街を歩いて触れる優しさ

本当に恥ずかしいことながら、長距離のフライトで席の近くに赤ちゃんがいた時に「外れを引いたな」と思ったことがある。
子供が泣いた時に、露骨に不快感を顔に出したり文句を言ったりなんてもちろんしないけど、無関心に目を閉じる。
そういう風に日々を過ごしていた。

そんな私だからこそ、子どもが出来て街を歩いた時に、たくさんの優しさに触れて驚きを隠せない。

ああ、こんなにも「小さな子供を愛してくれる優しい眼差し」をもって生活している人が多いんだなと感じる。

例えば、駅のエレベーターはたいてい、誰かが「開」ボタンを押して私たちが出入りするのを待っていてくれる。

百貨店で赤ちゃんと私で無謀にもランチに挑戦した時、隣の席に案内された綺麗な女性は泣きべそをかく娘に「こんなかわいい子の隣に座れるなんて」と笑って言った。

電車の中やエレベーターで一緒になったおばあさんとおじいさんは「かわいいわね」「幸せね」などと声をかけてくれる。

駅のホームで娘がきゃっきゃっと笑うので、視線の先を見ると高校生の女の子が娘をあやして笑っていた。

そんな時に私は今までいかに小さな子供に気づかず生きてきたのか…。視野が狭かったなとしみじみ思う。

別に子供に優しくできる人=素晴らしい人といちがいにいうわけではないけど(お年寄りが勝手に赤ちゃんに触って困るなどの話も聞く)関心を持てる心の余裕、小さきものを愛おしいと思える優しさ、そういったものは素敵だな。

逆に、本当に関心を持っていないんだなと思う人たちもいる。
(繰り返すけど、別に関心を持ってほしいわけじゃないんだよ)

多くのおじさんたちは娘がどんなに笑いかけても反応してくれない。単に恥ずかしいからかもしれないけど。
仕事なんかで疲れているからか、自分の世界を乱さないで欲しいという気持ちをすごく感じる。

そして、これはまたおもしろいのだけど、意外と小学校高学年から高校生くらいまでのティーンたちははあんまり興味がなさそう。
たまに子供好きな女の子がいるけど本当にレア!

家の近くに中学校があって帰宅時間にすれ違うのだけど彼らは娘が泣いていようが笑いかけようが全く気付かず、仲間たちと楽しそうに談笑したり、自分のペースで黙々と考え事をしながら歩いていたりする。

これが小学生とかのもう少し年齢が下がるとちょっと違って「赤ちゃんだ~」とか泣いている娘のものまねを親にしたりする。
赤ちゃんが気になるみたい。

思春期を生きる彼らは、自分の世界があまりに濃厚で目を向ける余裕なんてないのかなと思って面白い。

私は高校の教員をしていたから、そういう「今の自分の世界」に夢中になって、楽しんでいたり苦しんでいたりする姿を見るのが好きだったりするのだけどね。

私はとうに大人になっていたのに、子どもが産まれるまで本当に幼いままに生きていたから、無関心だったのかなと自戒する気持ちも生まれる。

今はまだ外の世界にほとんど反応しない娘だけど、これから先娘がどんな反応するかを楽しみながら街を歩くことが出来るのかと思うと楽しみだ。
同時に、小さな子供と一緒に歩いたときの周りの反応も楽しみつつ、世界をお散歩していきたい。

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