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デミアン (抜粋)

8
「すべての人間は、彼自身であるばかりでなく、一度きりの、まったく特殊な、だれの場合にも世界のさまざまな現象が、ただ一度だけ二度とはないしかたで交錯するところの、重要な、顕著な点なのだ。だから、すべての人間の物語は、重要で不滅で神聖なのだ」

9
「すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて。」
「われわらはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない」

126
『運命と心とは一つの観念を表わす名称である』ノヴァーリス一巻より

130
「われわれの内部に、すべてを知り、すべてを欲し、すべてをわれわれ自身よりよくなすものがいる、ということを知るのはきわめてよいことだ」

136
「鳥は卵の中からぬけ出ようとする。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」

142
「愛は...天使と悪魔、男と女とを一身に兼ね、人と獣であり、最高の善と極悪であった」

145
「あるものをぜひとも必要とする人が、この必要なものを見いだしたとすれば、それを彼に与えるものは偶然ではなくて、彼自身、彼自身の願望、必然が彼を導くのである」

158
「ぼくたちは、ぼくたちのだれよが、世界に存続するすべてのものから成り立っている。ぼくたちのからだが、魚まで、否、もっとさかのぼった所までの発展の系図を内に蔵しているように、ぼくたちは魂の中に、かつて人生の魂の中に生きたことのあるいっさいのものを持っているのだ」

「きみが世界を単に自分の中にもっているかどうかということと、きみがそれを実際知っているかどうかということは、たいへんな違いだ。...それを知らないかぎり、彼は木か石か、最もよい場合でも動物にすぎない。この認識の最初の火花がほのめいて来るとき、彼は人間になる」

168
「きみが殺したいという人間はけっして某々氏ではなくて。ほれはきっと仮装にすぎないのだ。われわれがだれかを憎むとすれば、そういう人間の形の中で、われわれ自身の中に宿っているものを憎んでいるのだ。われわれ自身にないものは、われわれを興奮させはしない」

183
「野心ない人でも、一生に一度や二度、敬虔とか感謝とかいう美徳と衝突することは免れない。だれでも一度は父や先生から自分を隔てる歩み踏み出さねばならない。だれでも孤独のつらさをいかほどか感じなければならない。もっともたいていの人はそれに耐えることができないで、すぐにまたこそこそとはいこんで行くのだが」

184
「われわれが習慣からではなく、ぜんぜん自由意思から愛と畏敬をささげてような場合、まったく自発的な気持ちから弟子や友だちとなったような場合____そういう場合には、自己内部の主要な流れが愛するものから離れようとするのに突然気づくと、つらい恐ろしい瞬間になる。そのときは、友だちと先生とをしりぞける思想の一つ一つが毒のあるとげをもってわれわれ自身の胸をさし、防衛の打撃の一つ一つが自分自身の顔に当たるのである。そのときは、合法的な道徳を心の中に持っているつもりでいふ人間の前に、「不信」とか「忘恩」とかいう名まえが、恥ずべき呼びかけや罪人の極印のように現れる。そのときは、おびえた心は幼年時代の美徳のなつかしい谷へ恐れおののきつつ逃げ帰り、この絶交が、またこのきずなの切断が必要だった、とは信じることができない」

190
「各人にそれぞれひとつの役目が存在するが、だれにとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しない...目ざめた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道をさぐって進む、という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。」
「私は、詩作するために、説教せるために、絵をかくために、存在しているのではなかった。私もほかの人もそのために存在してはいなかった。それらのことはすべて付随的に生ずるにすぎなかった。」
「各人にとってのほんとの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった。...肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見だし、それを完全にくじけずに生きぬくことだった。ほかのことはすべて中途半端であり、逃げる試みであり、大衆の理想への退却であり、順応であり、自己の内心に対する不安であった。」

221
「愛は願ってはなりません...要求してもなりません。愛は自分の中で確信に達する力を持たねばなりません。そうなれば、愛はもはや引っ張られず、引きつけます」