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森本薫の台詞・世界の奇妙さについて(2)具体例

前回の記事で森本薫の台詞の人工性・虚構性と、そこに描かれる感受性について書きました。今回はその「奇妙さ」の具体例を2つほど挙げて解説をして行きます。

句読点の位置の奇妙さ

森本薫『女の一生』の稽古をやっていてたいへん重要だと思ったのは、句読点です。まずは具体例を見てみます。以下に引用するのは、第二幕の堤家の長男である伸太郎と、その家で働き始めた主人公であるけいとの会話です。

けい なんですか、そんなむずかしいことは私にはわかりませんわ。お商売をなさるのにそんなこと迄お考えになるのですか。
伸太郎 僕は、取引の役に立たせるために清国語の勉強をさせられたのだが、言葉の勉強が進むにつれて自分が商売にかけてはさっぱり役に立たない人間らしいということがわかってきて困るんだよ。三国志も水滸伝も僕にとってはもう手離すことの出来ないものだし、八大山人や石濤の絵についてなら幾らでも話すことがありそうな気がするが、種粕の相場や綿花の収穫については何の意見も方針もない。
けい 私は、こちらのようなお仕事、何だか大変面白そうで先のたのしみもある気がしますわ。この間、栄二さまに波止場へ連れて行っていただきましたの。船から荷物がどんどん積みおろされる所や、引渡しの立合の目の廻るような忙いそがしさや今迄みたこともない税関の交渉なんか、何もかも生き生きしていて、頭の中へ涼しい風が吹きこんでくるようでしたわ。
伸太郎 女のお前がなんだってあの騒々しい岸壁の景色にわくわくするのか、僕にはわからないなあ。

声に出してみると分りますが、読点がかなり少ないのです。ですがこの読点にはとても意味があります。読点は意味の上で置かれているわけではなく、呼吸の位置なのです。

「僕は、」「私は、」

とても奇妙なのは「僕は、」「私は、」という読点ではないでしょうか。これには明確な狙いがあります。この第二幕は、堤家の子供たちが、思春期をすぎ、さまざまな人生の夢を見ながらも、そろそろその人生の道を決定しなければならない時期です。彼ら彼女らの「主体性」「自己の有様」を際立たせる為に「僕は、」「私は、」という部分に一間の呼吸が置かれているのです。実際に声に出して読んでみるとはっきりと分ると思いますが、「僕は、」「私は、」という部分で呼吸を止めることで、自分の体を意識せざるをえなくなります。これは、観客席にも同じ効果をもたらします。その呼吸で、観客には役者の身体が浮き上がる瞬間が発生し、同時に、観客自身が自らの「自己」について思いをはせることも可能になります。

現行版にはなくなった読点

もうひとつ具体例をあげます。第三幕での章介という叔父の台詞です。

章介 さあ。あ、今日は叔父さんとねよう。な、お母さん達は今日はお話が残ってるんだからな。さ、行こう。(と、行きかけて)あ、伸さん。例の斎藤長兵衛な、今日とんでもない所で表札をみたんだ、鎌倉の小町なんだがね、あんな所にいたんだね。探してもわからない道理さ。(入ってゆく)

これは初稿版の台詞ですが、基本的に森本薫『女の一生』として流布しているバージョンでは以下のようになっています。

章介 さあ、今日は叔父さんとねよう。な、お母さん達は今日はお話が残ってるんだからな。さ、行こう。(と、行きかけて)あ、伸さん。例の斎藤長兵衛な。今日とんでもない所で表札をみたんだ。鎌倉の小町なんだがね。あんな所にいたんだね。探してもわからない道理さ。(入ってゆく)

句読点がかなり違っていることがお分かりになると思います。また、最初の「あ」という台詞がカットされてしまっています。おそらく誤字だと思われて削除されたのでしょう。しかしこの句読点の位置と「あ」については戦後に森本薫自身が改定した文明社版においても、初稿版とまったく同じなのです。以下に画像を貼り付けておきます。

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「さあ。あ、」という奇妙な台詞

ここで森本薫が仕組んでいるのは、「さあ」「あ」「な」「さ」と感嘆詞を連続していうことで章介の呼吸の乱れを表現することなのではないでしょうか。実は章介という人物は後で明らかになることですが、この場では心情がかき乱されるような状況に置かれています。台詞自体の内容でその心情の乱れを表現するのではなく、呼吸の乱れで表現する。とても演劇的な台詞です。

ついでに「さあ、」と「さあ。」の違い

もうひとつついでに置いておくと、「さあ、」「さあ。」という表記も明確に違います。「さあ、」の場合は、次の文章をいうための一つの勢いや調整のための台詞になってしまいます。しかし「さあ。」の場合は、ただただ「さあ。」なのです。次になるをするかは考えていない。つまりそれがなにを表すかといえば、今続いている話をまずは「止めたい」という欲望が現れているのです。

今日が最終稽古です。ざっくりとした話になってしまいましたが、初稿版や森本自身の改訂版である文明社版を読む際には「句読点」を気をつけて読んでみると新な発見がやまほどあるはずです。それは現行流布している「調整」されたテキストからは見つけることは困難でしょう。

ドナルカ・パッカーン
日本文学報国会による委嘱作品
「女の一生」
―戦時下の初校版完全上演―
作:森本薫 演出:川口典成
2019/11/6-10 @上野ストアハウス
https://donalcapackhan.wordpress.com/

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