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とあるラジオの相談コーナーを聴いて

TBSラジオ『ジェーン・スー  生活は踊る』の相談コーナーをたまたま聴いていて、思うところがありました。
番組公式ツイートによると、相談者さんの意向を汲んで(ポッドキャスト? かradikoか? の)配信をしないことにしたそうで、まあ内容的にもきつかったんだろうなという感じは伝わってきます。
本人がポジティブな思いを持っていないのであれば、できるだけTwitter上を含めネット上での言及は避けたいところですが、聴いてしまったものはどうしようもできないし、何かしらアウトプットしたいという思いは私にもあります。

なので、できる限り相談者さんへのリスペクトを忘れず、陰口にならないように配慮しながら書きたいと思います。
なお、ラジオを聴いていない人にゼロから事細かく説明することは、手間の観点からも相談者さんへの配慮の観点からもやらないので、あくまでも相談コーナーを聴いた人には分かるかも程度の書き方をします。
※リスペクトする=厳しいことを言わない、という意味ではありません。


まず、相談内容とスーさん・杉山さんの回答を聴いた上での率直な印象としては、以下のような感じでした。

相談内容にギョッとした (ダイナリ) スーさんの言い方が相談者の立場からするとちょっときついと思った

各パートについて、以下に整理します。


スーさんのコメントについて

まず、生活は踊るリスナー歴数年の私からすると、スーさんには以下の特徴があります。

  • 論理的思考や客観的な分析が得意&好きな人

  • 色々考えているし配慮も優しさもあるけど、わりとズバッとものを言う人

  • 相談コーナーのスタイルは、寄り添い情緒型というよりも分析型

  • 相談内容や相談者の立場・年齢などにもよるけど、寄り添い気味のときも厳しく指摘気味のときもある

そして、そもそもラジオでのお悩み相談には、以下の点が挙げられます。

  • 公共の電波に乗るので、(匿名とはいえ)多くの人に自分の悩みが知られることになる

  • 自分の欲しい回答がもらえるとは限らない

  • 短い文章の中で状況を伝えるので、正確な情報がすべて伝わるとは限らない(状況が誤解されたまま話が進むこともある)

以上の点から、私としては回答スタイル自体に大きな違和感はなく、賛否はあるとしてもまあスーさんらしいなという内容でした。
ただ、この悩みを送った相談者さん本人のことを考えると、聴くのがなかなかきつい部分はあるだろうなというのも分かります。


相談内容について

私がギョッとしたはズバリ、自身の苦労や人生への鬱屈感を単なる外部環境の1つでしかない同僚の行動と因果関係があるような捉え方をしていた点です。
だから、スーさんが指摘したように、38歳の今そこに気付いて転換できなければ、一生この ‘認知の癖’ を引きずり続ける可能性が高いと私も思いました。そして、その癖に気付けるかどうかは、人一人ひとひとりの人生に対して破壊的な違いをもたらします。

何を若造が・・!と言われればそれまでですが、考えたことを箇条書きにして少し整理してみたいと思います。

  • 全体的な観点としてまず、感情面でそうなるのは理解できるし仕方ない部分も多少あるけど、事の本質はそこにはない。

  • 「ずるい」という言葉から、相談者さんには強い妬みがある可能性、強い正しさの呪縛に囚われている可能性が考えられる。

    • 妬み:スーさんの言うように、自分がしたいけどできないことを同僚ができている、あるいは自身の人生への不満や自信の欠如が大きい傾向が感じられる。

    • 呪縛:スケールが大きくなって恐縮ですが、基本的に日本社会は「他人に迷惑を掛けてはいけない」「自分勝手はダメだ」「正しくコツコツと生きるのが良い」という価値観が、自分たちが自覚している以上にかなり強いので、それが呪縛になっている可能性がある。

  • 海外に働きに出た同僚は自分の人生を精一杯生きているだけであって、別に「自分勝手」ではない(ように感じられる)。もしそう思うのなら、“何に対して” 自分勝手だったりずるいと感じるのか、その自分勝手さやずるさは本当に重大なことなのか、自身の人生と関係があるのかをもう少し整理した方がいいでしょう。

  • 人が辞めて業務が相対的に逼迫するのは(そのときの職場の人の飽和度に関係なく)当たり前のことであって、それを個人の責任に帰結させるのは見当違い。そして、逼迫してようがなんだろうが仕事を辞めるのは個人の自由。その後きつくなった現場で自分も辞めるか残るか、環境を変えようと働き掛けたか等は残った人たちや組織体の選択とその結果であり、そこに辞めた人を紐づけて考えるのはめちゃくちゃ。
    もちろん医療や介護など、なかなかシャレにならないきつい現場も多いのだけれど。。

  • 組織とは、個人ではできない(あるいは難しい)ことをチームで補い合うことで大きなシナジーを生もうとする共同体であり、つまり組織が存続する間に中の人間がぐるぐる入れ替わるのは当たり前。そして、経営側に上手く回していく姿勢や能力がないのであれば、自分自身がつぶれる前にとっととその環境から去った方がいい。
    結果会社がつぶれて利用者が路頭に迷うかもしれないし、それがとても辛い人もいると思うけど、そのレベルの物事は1人が頑張ったからどうにかなるような問題じゃないし、そこまでの責任を一従業員が負う必要はない。

  • 一緒に旅行に行くほど仲が良かったとはいえ、その同僚は相談者さんが触れていた外部環境の内の1つに過ぎない。自分の人生への納得感や被った苦労といった「自身の人生の話」を、直接的な因果関係のない他人に投影する(紐づける)のはけっこう危うい捉え方。
    他人は変えられない、自分自身あるいは身を置く場所を変えていく。

  • 「私は正しく苦労してるのに・・」ともし思っているのであれば、無意識のうちに自身の身を削る生き方(自己犠牲)が定常化している可能性があるので、方針転換を考えた方がいいかも。


ん〜もしかしたら、同僚と相談者さんの間でわりと大きな家庭環境・経済状況の違いや何かしらの立場の違いがあったりするのかもしれませんが、少なくとも聴いた内容から言えるのは、今のままの考え方をしていると今後相談者さんの気が晴れたり、心から人生をエキサイトできる未来は来ない気がするのです。

まあ飛んだお節介野郎なnote記事ですが、表現せずにはいられなかったもので。どうかご容赦ください。


'23/10/18 最終更新(本文全体)
'23/10/21 最終更新(一部文言修正)

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