節約は、思ったより不健康だ

今日も昼ご飯はサイゼで柔らか青豆の温玉サラダ(200円)で済ませた。

金がまあ無くなり続けているので、節約に奔走している。
そして今年の3月末くらいから痩せようとしていたので、その節約を食費を削ることで果たしている感じがある。3月末に比べたら7キロくらい痩せているみたいだ。元々前の職場ではストレスのせいで食事を多く摂りすぎてしまっていたので、今はそれが減った分、食事をコントロールしたり減らすことができている。あと、今月から立ち仕事になったので「体重が落ちたら、その分疲れも減るよな!」という逆脳筋発想をしてしまっている。

最近の節約の仕方としては
・食費を抑える
・本を新刊で買うのでなくブックオフで買っている
・サブスクとかをやめる
・ファッションとか音楽に関わるもろもろとか娯楽とかを我慢する

といった感じだ。
大切な人と遊んだり関わったりするために使うお金は削らないようにしているし、近しい人と飲みに行ったりするのも(高くないとこならいいよ!とか言うようになってしまったけど)大事な生命線なので、そこは躊躇しないようにしている。だけど、やっぱりそこでお金が消えすぎると気にはなってしまうので、これが今ストレスになってしまっているんだろうな、とは少し思う。

気になってしまうことを気にならないように振る舞う、というストレスだろう。まあ実際は土でも舐めたり病床に臥せたりしてしまえば、つまりもっとどん底の味を舐めて仕舞えばそんなのストレスじゃなくなるので、要はマネジメントしろということだろう。マネジメントしていきます。





明けない夜はないというけど、今の人生はまだまだ暗さを増していく一方だし、大嫌いな夏が始まってしまうし、いまだに人に覚えてもらえたり大切にしてもらえるような人間じゃないし、経済資本も文化資本もセンスもないし、生まれ持ったものも後天的に育まれるものも足りていないし、欲望も野望もないし、逃げ場所もないし、体力もないし、集中力もないし、知識もないし、度胸もない。そして正しくもない。少しずつ、何もない場所に近づいていく。全部なくなるまであとどれくらいだろう。まだ長い旅の途中。足りていない場所から、足りていない人間として。光の届かないところへ。光の届かないところへ。そう、それは彼が言っていた、「見えない奥の隙間の方」だ。今はひたすらに真っ直ぐに、そこまで行ってやろうじゃないかと思う。

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