なるべくでいいから
・少しずつ自尊心を失なって、自分なんてどうでも良いと思うようになっていく。それでも、まああれに比べたらマシかなんて思って、しょうもないものの上に胡座をかきそうになる。自分で自分のケツを叩き、できもしないことを、少しでもやろうとして、きっといろんなものを無駄にしたりして、だけどもしかしたら、もしかするとしたら、きっと救いや恵みなんて、ない方が当たり前な場所が、どこかにはあって、自分がどこからか落ちてる錯覚をしてるのは本当に錯覚で、誰かと同じ速度で、ゆったり地球を回っているだけなのかもしれない。もし安心して、ゆったりして、なんの生産にもならない話を、満足げにできる人間になれるとしたら、きっとそれは遠いようで思ったより近い未来なのかもしれないけど、だけどその未来を、将来を、そう簡単に自分は、そんな自分を、肯定したり、抱きしめたり、温かく笑ってあげられる自信がなくて、死ぬまで癒えない傷を、生まれる前から負っているとしたら、帰る場所も故郷も地元の友達も小さなお祭りも逃げ道も逃げ場所もないことは正しさでしかなくて、誰にも抱きしめてもらえない人間が、誰かを抱きしめることができるだろうか。帰る場所のない人間が、誰かの帰る場所になることができるだろうか。帰る場所のない人間が、誰かの帰る場所になることができるだろうか。帰る場所のない人間が、誰かの帰る場所になることができるだろうか。
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