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諦めの全て

何一つ辛くないと言えばたしかにそうかもしれないし、全てが辛いかというとそう感じてしまいそうな心もある。とにかく、何一つ上手くいかないことをわかっていながら、それを覚悟して、その道を進んだとしてもだ。覚悟があったからといって、その苦しみや痛みは無くならない。ずっと辛い。

最初の一歩を踏み出す難しさというのはあるだろう。加えて、その先にある、踏み出し続けることの難しさは、もっともっと難しい。



そういえば、報われるというのは、どういう意味だろうかと、ずっと悩んでいる。そればっかを考えている。


金銭を多量に稼ぐことは報われるということだろうか。
労力以上に褒賞をもらえることは報われるということだろうか。
真面に、普通に、生きていけるということは報われるということだろうか。
勝つということが、成功するということが、報われるということだろうか。
違うと思っている自分が、どこかにいる。かといって、負けること、失敗することが報われるということだとも思わない。



吐き気がする。



金もないし心の健康を害するという理由で友人の結婚式に行けないこと、それに後ろめたさを抱える自分に吐き気がする。

死にたさを抱えないで生きている奴を見ると、吐き気がする。

政治も経済も暮らしも道徳も終わってるのに、前向きに生きる奴や連帯を捨てた幸せを望む奴、人の苦しみを元手に笑ってる奴がいる。吐き気がする。

こんな吐き気ばっかする世の中で、幸せになんかなりたくもないし、幸せになれないなら辛いのが続くだけだ。死んだ方がいい。いや、死にたい。ずっと死にたい。ほんとに。多分ずっと死にたい。死にたい分、自分を削ることで死にたい欲求を満たしている。安心する。無理してる方が。もう、休めてないと安心する。苦しいと安心する。報われないと安心する。情けないと安心する。なにかができないと安心する。そう、それは死にたいから。ずっとずっと死にたい。ずっとずっと死にたい。真っ当だ。こんなにも真っ当に、私は死にたい。


死にたいのに、生きていくのなら。

本質を見失わないこと。この一点に尽きる。
強さと弱さをよく考える。見えているものと見えていないものをよく考える。感覚を研ぎ澄ます。
辛いとか辛くないとか考えずに、私という存在を、私が果たしていく。それしかないと思う。


あの時救ってくれたあなたとか、花をくれたあなたとか、私の過ちを正解にしてくれたあなたとか、すぐそこで見殺してしまったあなたとか、あったことないのにその存在を感じてしまったあなたとか、私のことを笑ってくれるあなたとか、結局少し気にかけてくれるあなたとか、真っ直ぐに向き合ってくれるあなたとか、馬鹿にしないでいてくれるあなたとか、優しさを教えてくれたあなたとか、ちゃんと私を知ってくれているあなたとか、なんでも受け止めてくれたあなたとか、気にかけてくれたあなたとか、笑わないでいてくれたあなたとか。
そういうの、一つ一つ、無かったことにしないで、噛み締めて、生きていくしかない。



初めから何かを持って生まれてきたわけじゃないのだから。生きようが死のうが、そういうものたちが示してくれた道を選んでいく。

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