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「苦しかったときの話をしようか」/森岡毅

「苦しかったときの話をしようか」/森岡毅

薦めてくれた先生が、「研修医になりたてで、うまく行かなくて、辛い時に読んで励まされたんです…」と言っていて、「父から我が子に宛てた手紙」という体裁を取っていることもあり、「父さんにも、こんなに苦しかった時期はあった。だけどね…」みたいな、温かい内容なのかと思いきや、基本的には就活 how toというか、自己分析how toという趣がある。それはそれで、興味深く読めた。

大学生の頃、それまで他愛もなく音楽や、映画の話ばかりしていた友達が、突然リクルートスーツを着込んで、自分の「軸」がどうの、「強み」がどうの、私は潤滑油のような人間です…というような事ばかり言うようになって、そこには一種、ディストピア小説じみた雰囲気があった。

「就活を経て、自分を見つめ直すことは人生的にも意味があるんだよ…」というような事をよく言われて、そういうもんすかね、と思っていたけれど、たしかに、『苦しかったときの話をしようか』を読んでいると、セルフ・ブランディングの話とか面白くて、まんざら、就活も、ディストピア的な部分だけではないのかもしれない。強制的に自分を見つめ直さざるを得ない時期が訪れる、というのは、現代社会において、失われた通過儀礼の役割を果たしている、ということもあるのかもしれない、と思った。

とはいえ、人間というのは、そんなに分かりやすくブランディングして、プレゼン出来るものだろうか?我々はもっと、快・不快を漠然と感じながら、本能に導かれてうごめく、昆虫と選ぶ所のない存在なのではないか?あるいは、もっと不可解で、根本的に理解が難しくて、だからこそ素晴らしいものなのではないか?特に「目的」に沿っていなくて、プレゼンのしようのない、日常の中にこそ、生きがいを見出している人が大半なのではないか?

それとこれとは別なのか?

そういった反感を抱きながら読んでいたけれど、実際に、「苦しかったときの話」に割かれる一章には、読み応えがあった。

働き始めた直後、昇進した直後、海外に赴任した後、それぞれで、著者は、様々な理由で自己肯定感を失い、苦しい思いをする。身につまされる思いがするし、そこから著者がなにかを学び、立ち上がる姿は、とても立派だと思った。自分自身、働き始めてから何度も自己肯定感を失い(現在進行系でも自己肯定感を失い)苦しい思いをしたことがあるけれど、そこからなにかを学び、立ち上がってきた…というよりは、単に、だましだましやってきただけのような気がした。

もっと早く、この本に出会いたかった…というような気もせんでもないし、自分は、もっと分かりづらい何かに励まされていたい、という気もした。

(ただ、仮に、自分の娘が就活ですごい苦しんでいたとして、何か、自分なりの、不可解な、分かりづらい形で励まそうとしても、鬱陶しがられるだけで、ただ黙ってこの本を渡した方が百倍ありがたがられそうだな…という危機感を抱いた。)

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