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『テオレマ』(1968)

夏祭りみたいなのがあった。どんなもんかと思って、厳しい日差しの中を、神社を目指して歩いていると、ものすごい人がごった返していて、そこらここらで、老若男女が、段差とかに腰掛けて焼きそばとかを啜っている姿は、なにか、曰く言い難いものがあるというか、退廃の街というか、(観たことないけど)『ソドムの市』って感じだな、と思った。

ソドムの市。ソドムの市かぁ…と思いながら家に帰って、画像検索すると、全然イメージしてたのと違ったものの、そういえばパゾリーニの映画って観たことがないな、と思って、U-NEXTに『ソドムの市』はなかったので、この『テオレマ』を観てみた。

パゾリーニといえば、すごく凄惨な死を遂げたイタリア人の映画監督、というイメージがある。そういった、死に様が凄まじい芸術家、というのには、独特のロマンがあると思う。三島由紀夫とか、太宰治とか、エルヴィス・プレスリーとか。

なので、さぞ、ものすごく悪趣味で、凄惨な映画なのかな…と思っていたら、意外とスタイリッシュで、楽しんで見れた。

あらすじとしては、大きな工場を経営している裕福な一家に、(経緯はよくわからないんだけども)ダウ90000の蓮見さん似の伊達男が現れ、なんだか可哀想な雰囲気のメイドとか、娘さんとか、奥様とか、果てには、息子と旦那まで性的に籠絡していく、という話だった。そのスピード感には、考えさせられるものがあった。蓮見のモチベーションが最後までよく分からないのも不気味で良い。メイド、娘さん、奥様までは了解可能というか、よくある話だな、と思うけれど、ドラ息子という感じの息子と、なんかキリッとした社長である旦那まで性的に籠絡していくところは異物感がすごくて、こ、これが、パゾリーニらしさ、ってコト…!?と思った。

ダウ90000

あと、蓮見が、ただただ退廃的なイケメンというよりは、朝早くにパンイチで犬と追いかけっこしてたり、なんか分からんけど飛び跳ねてたり、すごく楽しそうなのがいいな、と思った。夢の中で、どんな風にでも振る舞っていいよ、と言われたら、こんな風に人は振る舞うのかもしれない…というような、自由さを感じた。

その後、蓮見は、突然その、ブルジョワ家族の元を去り、残された家族は崩壊していく。その崩壊の様が、観ていて楽しいんだけれども、これは、シャーデンフロイデ的なものなんだろうな、と思った。

あとは感想を箇条書きにすると

・娘さんが線の細い、暗い感じの美人で、どっかで観たことあるなぁと思ったら、ずっと観たいと思っている可哀想なロバの映画、『バルタザール、どこへ行く』に出てる人だった。

・(一応)平穏なくらしをしている一家に若い男性が現れ、秩序をかき乱していく、というところは『家族ゲーム』と近いような気がした。

・要所要所で砂埃が舞う火山口?みたいな風景のカットイン(っていうのか?)があって、キレイだなーと思うんだけれども、最後、主人公のおっさんが全裸でそこをさまようところで、これは、「乾き」についての映画なのだと思った。日常生活の中で、一見平穏に暮らす一家、そこにある、意識されぬ「乾き」。そこに蓮見が現れ、それぞれに(主に性的な)潤いをもたらすんだけれども、訪れた時と同様に唐突に、(感慨もなさげに)蓮見は去っていく。それは、考えてみると、蓮見がやってくる以前の状態に戻るだけなんだけれど、それぞれが、それぞれの仕方で崩壊していく。ラストシーン、主人公のおっさんの咆哮は、まさに「乾き」の訴えだ。山本直樹の漫画みたいな話だなと思った。

・イタリア映画といえば、他に、フェリーニも『道』と『8 1/2』しかみたことないし、あとアントニオーニの『欲望』とかくらいだけども、類型があるとすれば、スタイリッシュにエロチックで、なんか宗教とか、政治の寓意的なものが多くて、思わせぶりである、というような感じなのかな、と思った。あと、なんか人生に関して、思わせぶりに苦悩しているスタイリッシュな壮年男性、という類型があるような気がする。

・こういった、古い映画を思いつきで観ても、なにか、ものすごい人生的な教訓を得るとか、人生観を揺さぶられる、ということはなくて、一つ一つの意味合いの良くわからないシーンが、脳裏に蓄積されていくだけ、というような気がするんだけれども、普段の何気ない生活もそういうもんかもな、と思った。一つ一つの意味合いの良くわからないシーンが、脳裏に蓄積されていくだけ、ということ。

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