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『グレイテスト・ショーマン』(2017)

大学生の頃、実家に帰った時に、姉貴に誘われて映画館で『レ・ミゼラブル』を観たことがある。ミュージカル映画、みたいなのをあんまり観たことがなくて、最初は、アン・ハサウェイって、ホント、美人だなぁ…と思いながら観ていたんだけれども、だんだん、ヒュー・ジャックマンというか、ジャン・バルジャンが、物悲しい顔で、何の前触れもなく歌を歌い始めるのがツボにハマってきて、そもそもジャン・バルジャンってなんだよ、みたいな気持ちになり、笑いを堪えられなくなって、姉貴共々、ずっと涙を流して笑いながら観ていた事があって、それは、ありとあらゆる映画体験の中でも、トップ・レベルに良い思い出だ。

『グレイテスト・ショーマン』も、ヒュー・ジャックマンが出てきて、何かというと歌い踊るのが、結構『レ・ミゼラブル』ぽくて、懐かしい気持ちになった。PTバーナムなる人物の半生を扱っている辺りも、ジャン・バルジャンの生涯を描いた『レ・ミゼラブル』っぽさがあって、この人、なんか、いっつもこういう目にあってんな…(そして、いつも歌ってんな…)という気がした。

映画は、小説や音楽に比べて、より、「他人にとって、どんな風に世界が見えているか」を直接的に味わうことが出来ると思う。それが、自分と近ければ、癒やされるような気持ちになることもあり、全く違えば、それはそれで、「新しい世界の見方」を教えてもらうような気持ちになることもある。

『グレイテスト・ショーマン』の冒頭、幼少期のPTバーナムが、チャリティ(恋人)と手紙のやり取りとかをしながら、未来に思いを馳せる感じ(million dreams keeping me awake)には、すごく懐かしい気持ちになった。自分も、中学生くらいの時には、こういう心性があったような気がする。自分の子どもも、長ずるに従って、こういう気持ちを抱いたりすることになるのかしら…と思うと、現実感がない気がした。というのも、そういった、未来へのキラメキで夜も眠れない…というような感覚は、すでに自分の人生を遠く過ぎ去ったものだからである。

そして、PTバーナム苦労時代というか、会計士的な仕事をしながら、健気な妻と共に、かわいい娘二人を育てる…というくだり。中でも、なんかマンションの屋上みたいな所で、シーツとロウソクを用いて、幻燈ごっこみたいなことをしながら歌い踊るシーンには、なにか、胸に迫るものがあった。清貧、という言葉が浮かんだ。自分も、ヒュー・ジャックマンのように、自分の娘に「未来へのキラメキ」を味あわせてあげられているだろうか…そんな風に自問させられた。

そこから、PTバーナム覚醒時代というか、サーカス事業が、トントン拍子で成功を収めていくくだりに入っていく。ここからは、映画の肝というか、いわば、「フリークネスの祝福」というようなテーマに入っていくような気がした。

幼少の頃、『ロッキング・オン』とかで、David Bowieがやっていたことは「フリークネスの祝福」であった、というのを読んだ思い出がある。そういうのには、非常に励まされる思いがしたものだ。ロック・ミュージックというのは、「フリークネスの祝福」であるということ。はずれもの、爪弾きにされる、変わり者の居場所であり、その、フリーク性を祝福するものである、ということ。『レ・ミゼラブル』を観ても、ちっとも感動出来ず、ジャン・バルジャンが真面目な顔をしてセンチメンタルな歌を歌うのを観て、腹を抱えて笑うことしか出来ない、そんな、自分達の感覚のズレを祝福すること。「Is there life on mars?(火星に生き物はいるのかな?)」、つまり、こんな所に俺の居場所はない、ということだ。

『グレイテスト・ショーマン』から、そういった、「フリークネスの祝福」的な感覚を味わえるかというと、それは、また別問題だった。

けれども、PTバーナムが、「フリークネスの祝福」的な所は全然考えてなくて、基本的に、お金と、世間の評判のことしか考えていない所が、変にリアルで、なんか良いな、とは思った。

いよいよクライマックス、PTバーナムは、サーカスの主役をザック・エフロンにまかせて、娘のバレエの発表会を見に走る。傍らには、いつも支えてくれた妻、ミシェル・ウィリアムズが。

ミシェル・ウィリアムズ自体はすごく好きだけれど、この映画においては、なんだか、現実感が薄かった。ひたすら健気で、清貧をも楽しみ、なんか、終盤では、ストールみたいなのをなびかせながら海辺でPTバーナムを待っていて、「私が望むのは、愛する人の幸せ、それだけ」。…そんな奴ぁ、おらんがな、という気がしてしまう。

『トゥルーマン・ショー』という映画(がすごく好きなんだけれども)で、夢見がちな主人公(ジム・キャリー)、いつかはなにか、大冒険がしたい、という夢を捨てきれない主人公に、妻が、「なら子供を作りましょう。子育てだって、立派な『大冒険』そのものだわ」というようなことを言って、トゥルーマンが、なんともいえない表情を浮かべるシーンがある。そこで仄めかされているのは、「それとこれとは別」というようなメッセージだ。

映画のラストシーンは、いわば、and they lived happily ever after、めでたしめでたし、というようなことだけれど、PTバーナムは、ほんとにそれでいいのか?あんなに、苛烈に冒険を求めていたPTバーナムが…?みたいな、釈然としなさを味わった。でもなんかヒュー・ジャックマンが幸せそうだし、まぁいいか、というような映画だった。ゼンデイヤ?は可愛いし、すごく楽しかった。

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