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自分の在りたい完璧な世界を作りたかった。

こんにちは。
28歳、適応障害からのニートをしてます。

私はニートになる前は自己啓発にハマっていました。
自分を理想の「こうなりたい」自分にするためです。

スピリチュアルはもちろんだし、ジャーナリングも、感情ノートや感謝ワークもしていました。
それでも心に限界が来て倒れたんです。

なぜそうなったのか。
私はノートに向かったり、瞑想や感謝など「自分1人でできること」ばかりをやっていました。
行動、はやってもいましたが、人に迷惑をかけないような行動ばかり。
人を巻き込んだり、人に想いを伝えると言うことはしていなかったんですね。

ポジティブな発言はしていました。
でもネガティブな発言は控えていて結局人の顔色を窺っていたんです。

同僚だから嫌いだけど距離を置きづらい人って仕事をしていると現れます。
もうムカつきすぎてふと緩むと「クソババア」と本人をナチュラルに呼んでしまいそうなほど嫌いな人に耐えていました。
自分の生活もあるので耐えていたのに限界が来ました。

私は、人の好き嫌いがあります。
特にその人の「闇」の部分が深ければ深いほど距離を置きたくなります。
本人の中で「闇」の部分を整理していればそこまで気にならないのですが、闇の部分と向き合えていない人ほど理解されたくて暴れ出すのがすごく苦手で。

それは「自分の明るいところだけを見せたい」と言う自分がいたからだと思います。
だし、私はファッション雑誌などに憧れもあってああいう紙面のようなキラキラした世界が好きなんです。
そしてあんな風にもなりたかった。

そういう完璧な世界には「闇」の深い人なんて、「闇」に向き合えていない人なんて必要ない。
1人1人が向き合えて、自立していてキラキラいる世界が私にとっての「正」の世界。
向き合えない人なんて私にとって邪魔者でしかない。

そういう自分がいることに気がつきました。
「完璧」であって欲しい「未熟」では嫌。
「未熟」と向き合えていないなんてそれは「幼稚」だ。最悪だ。

それが私が「現実を受け入れる」ということを阻害している1つです。

私も未熟だし、年上でも自立していない人はたくさんいる。
そして社会にはそういう人はたくさんいる。
人から見ると私がそういう立場になっていることもある。

そして汚い街や道、汚い風貌、内面の人は(全て私の主観です)はこの世にある。
汚い、真っ黒な私がいるように。

キラキラした世界はどこにもない。
キラキラしている様に見せてる世界があるだけ。

それに気づけた今の一歩は少し楽になりました。

ここまで読んでくださってありがとうございます❤️

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