教育とは何か(分類)

めちゃくちゃ久しぶりの投稿です。

といってもしっかりとした文章というよりかは、今の段階のメモ書きです。

なので色々穴はあると思いますがご了承ください。

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人間はそもそも生存と生殖を行い種として生存し続けることを目的としている(出典不明)。また学習とは「その動物の生存・繁殖の成功に結びつくようにつくられているひとつの形質」(小林、2018、p.28)であり、学習様式は以下のように分類されるという(安藤、2016)。

〇個体学習 
〇社会学習
 ・観察学習
 ・共同学習 
 ・教育学習

教育学習とは、教育者エージェントの教育行動に呼応して学習することのできる能力、つまり教育者エージェントの説明、指示、例示、禁止、評価などの行動を利用しながら個体学習や観察学習ではnなしえない学習を行う能力によって学習が成り立つような学習様式(同上、p.220)。

 上記の種として生存・繁殖を目的としていることを認めた場合、次により善く生きることが問題となるである。この点において、竹田(2020)は「普遍戦争を抑止しかつ人々の自由を可能にするために、どんな社会が必要なのか」(竹田、2020、p.266)と問いに「自由な市民社会」(同上)という原理を打ち立てる。その点に貢献するものとして苫野(2017)は教育を置く。

 ではその教育とはいったいどういうものなのか。例えば広田(2009)は教育を「教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである」(同上、p.8)と仮に定義する。この定義は価値的なものを含んでいない点で他の定義より優れていると考えることができる。ここに教授者がどう学習を組織化しようとするかという観点を加えることで教育を3つに分類することができるであろう。(参照:広岡、2020)

〇生の連続性を前提
 ・機械論的教育学
  ーティーチングとか、いわゆる一斉学習のようなもの
  ー学習:何かを覚える、知る、理解する
 ・有機体論的教育学
  ーファシリテーション、コーチング
  ーPBLや問題解決学習など「生徒主体」とされるもの
  ー学習:「主体性」などの獲得、気づき、発見、解決
〇生の連続性を中断
 ・実存哲学?
  ー不和としての教授(ビースタ、2018)
  ー何かと出会う
  ー学習:何かに出会う、実存可能性を知る


※上記における学習とは、教授者が組織化しようとしている学習についてである。

上記のような教育を行ったとしても、(1)意図したものとは違う形の学習をすることや、(2)そもそも学習しないこと、(3)意図せず勝手に学習することもある。(3)については学習様式の教育学習以外に当てはめることができるであろう。(1)、(2)についてはどう考えたらいいかは今のところ不明である。


参考文献

〇安藤寿康(2016)「進化教育学とは何か:教育への生物学的アプローチ」『哲学』Vol.136、pp.195-236。
〇ビースタ・ガート、上野正道監訳(2018)『教えることの再発見』東京大学出版会。
〇竹田青嗣(2020)『哲学とは何か』NHK出版。 
〇苫野一徳(2017)「教育学のメタ理論体系」『本質学研究』第4号、pp.1-17。
〇広岡義之(2020)『絵で読む 教育学入門』ミネルヴァ書房。
〇広田照幸(2009)『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店。

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