山家についての覚え書き

山家についての覚え書き

  山家と言われる人々を正規に知ったのは、地元に帰ってからだ。

 山家は、日本民俗学の始祖(っちゅー割には、本人的には『民俗学マジソウジャナイ』になってしまった不遇の人でもある)柳田國男曰く、『平地民を戦慄せしめよ』と評した、ある種の『日本固有種族』とも言われている……まぁそこ、諸説あるが。
 確かなのは、同じ狭い日本という土壌を踏みつけているにもかかわらず、言わば我々『平地民』とは異なった文化圏の人々である。その特徴の一つとして、土地の固有所有意識を持っていない。ネイティブアメリカンにも通じる感覚だが、これが言わば『西洋かぶれ』とは大層相性が悪い。西洋文明とは詰まるところ、『土地の所有』から生じている部分が濃厚にあり、彼奴等は根本的に会話出来ないといって良いぐらいだ。
 中二病的には格好良い概念と感じられるかもしれないが、言い換えれば、『在る畑を持っている(管理している)人がいるという概念がないから、野菜泥棒してもマジ悪いと思っていない』という、近年の高級作物強奪犯にも通じる概念がある。否、強奪犯の方が盗んでいる自覚がある分、未だマシかもしらん……それこれあってか、所謂全国区で近代化が進む中、大概の山家に関する資料の締めくくりは、こうなっている。

『昭和三十年頃には姿を消した』

 でも私は、ガッツリ見ていたと思い出した次第で。
 といっても、それが山家だと自覚したのは随分と最近の事だ。

 当時、昭和五十年代の餓鬼私は、その人が『ほいと』と呼ばれていた事を知っていた。それこそ、グーグル先生に訳させれば『乞食、或いはホームレス』としか出てこないだろうし、実際ググってもそうとしか出てこない。言わば方言としてそういう意味合いがあるので勝手に脳内翻訳していたのだが、今思えば奇妙なものだった。
『ほいとさんが来たら、米一升渡す』
 祖父母はただそう言った。施しと言えばそれまでだが、ふと改めて気付いたのは、それこそ近代だ。というかよく考えたら、米一升は中々の代物だし、何よりおかしい。
『いやいや、なんでホームレスに米渡すねん』
 托鉢ならともかく、何故に米を渡す、と改めて考えてそのおかしさに気付いたが、事実現実祖父母は『ほいとさん』が来ると米一升を渡していた。
 そして餓鬼私は、その人を確かに見ていた。
 黒い、腰の屈まった人だと覚えている、恐らく男性だ。今でも目に出来るあの道を歩いており、ともかく奇妙に黒かった、言い換えればまともな衣装の印象がない。そして祖父母は、明らかに異質なその存在を敬遠する事もなく、姿を見れば米櫃から米を用意して渡した。
 当然の態度だった、敬遠も誹りも聞かなかった。しかし何時だったか、『曾祖父の葬式にはほいとまで顔を見せた』と言っていたので、少なくとも地域にとって異質ではあったのだろうが、同時に地域に存在する者と認められてもおり、何より相手も『葬式に顔を見せる』という風俗を知っていたのだろう。

 おそらく『最後の一人』が、しかし一人でないと知ったのは近年だ。
 この話を御存知友人Hにした所、Hは思いがけない言葉を返してきた。
『うちにもおったよ』
 Hの祖父は山で働いていた事もあって、山家とは縁がより濃かったのだろう。Hと私の住居は、言い換えれば山一つ隔てているだけなのだが、Hの知っている山家は、年末に刃物を研ぎに来たらしい。私の知っている山家はそういう事はしなかったので、別人なのは間違いない。
『お餅を渡してたから……年末じゃね』
 Hの祖父はガッツリ刃物研げる筈だが、包丁は別ものというか、そこには矢張り、私が知っている山家と同様の、昔からある種の約束事があったのかもしれない。

 確かなのは、もう彼等はいないという事だ。
 我々が住んでいるのは酷く山奥ではない、その気になって歩けば、昔の道でもその日の内に海にたどり着ける程、海に近い。しかし同時に、あの頃合いでも『最後の』山家が闊歩していた程の、山間でもあるのだ。
 或いは昭和の末期でも彼等は未だ近かったのだ、と言えるのかも知れない。
 

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