Zの追憶、或いは俺達のスタンドバイミー


遺体を追いかけるのは、若者の特権かもしれない


 今では古典となっている映画、【スタンドバイミー】。
 12歳の少年4人が、不良から盗み聞いた話を元に遺体を捜しに行く、一夏の冒険譚だ。
 公開は1986年。
 所謂テレビのロードショーに出てくるのは、その3年後らしい(Wikipedia情報)。

 更にその3年後の1992年。
 15歳共、正確には中学3年生の田舎中二病共多数が、遺体を探し始めた。

 そういう行から始まる中学時代の記憶は、実は殆どない。私が学パロを書く気になれないのは、大学以外の学校生活には常に、田舎の因習にも似た陰が付きまとっているせいかもしれない。
 そんな私が通っていたのは、貧乏田舎町所属郡唯一の中学校だ。つまり、隣町のオエライ国立、或いはオタカイ私立に行かない限り、自動的に地域のガキ共全員がそこに収監される。なので、マイルドヤンキーとDQNが育つには事欠かない土壌ともなった。
 実際に同級生は、15でバイクの代わりにスクーターを盗んでパクられていた。何せ貧乏田舎なので、バイクなんてオシャンティなものはない。そして15歳にとって、スーパーカブは食指をそそられない代物だ。
 そんな田舎中学校で、一つの騒動が起こった。

 15歳、中学3年生。大半は人生初めての選択を迫られる。
 ずばり、『今後の自分の人生をどうするか?』。当時は大まかに三つの道があった。
 大学進学を視野に入れた普通科進学。
 就職目的の専科学校進学。
 もしくは、就職。
 勿論、どれもこれも映画や漫画で見る、晴れやかでドラマチックなものではない。就職組はどう見たって選りすぐりのDQNだし、専科学校は『大学進学を視野に入れ得ない』頭打ち前提での進学だ。
 そして普通科進学の女子は、幾分奇異な目で見られたものだ。某カップリング番組で、【職業:女子大生】【職業:家事手伝い】と普通に解説されていた時代だ。つまり、『女が大学に行ってどうする、行き遅れるだけ』、と言っても叩かれる理由にならない時代でもあった。
 これが、都会であれば又話も違っただろうが、当時は当然ながらインターネットもない田舎だ。今風に言えば、出生地ガチャハズレ確定、情報もリソースも都会に比べて随分乏しいが故に、一生ここで暮らさざるを得ない田舎故の己等が家の経済力の脆弱さは、15歳にもなれば誰もが薄々感じていただろう。
 つまり、最初の人生の選択とは言ったものの、余程の才覚か覚悟がなければ随分と限られたものでしかない。そして15歳にして人生が、どちらかと言えば芳しくない方向に決定してしまうケースも珍しくはない。
 結論。我々全員が程度の差こそあれ、鬱屈したものを抱えていた。

 この頃、Zという映画が世に出た。
 これまたWikipedia情報によると、Zはちょっとした『しでかし』で、一般映画館での配給が不可能になったらしい。そもそも『しでかし』の多い監督だそうだが、そのツケで、Zは地方ドサ回り興行をせざるをえなくなった。
 そのドサ回り先の一つが、私の住む田舎だった。ドサ回りなので、電柱に段ボールに貼り付けた広告を巻き付け、ビラを撒き、宣伝を行ったのだろう。田舎は、そもそも遠出しないと映画を見れない環境なので、それだけでもエンタメとして集客は可能だろう。
 だが、それだけだと宣伝力に欠けるのは確かだ。そもそもZの内容は、お世辞にも一般ウケするとは言えない内容だ。短くまとめると、実際の事件を基にした因習村物語。低予算映画だったので、花形役者がいるわけでもない。
 そんなZにも、一つの広告塔があった。
 『実際に遺体を掘り出す衝撃シーン』。

 そして、その広告塔を、鬱屈した15歳共が見付けてしまった。

 何故、誰が、何処でそれを見付けたのか、私は知らない。
 知らないが、学校に行くと、至る所でZの話は飛び交っており、ビラも回っていたと記憶している。チケット代は1000円、田舎の15歳には決して安くはないが、誰もが口にしていたのは、『実際に遺体を掘り出す衝撃シーン』についてだった。
 後、Zという奇妙な表題が、15歳心を掴んだのだろう。
 Zの内容は、どう考えても田舎者の15歳とはまるで噛み合わないのだが、皆が見たかったのは、『実際に遺体を掘り出す衝撃シーン』だ。お前等広島の学生は毎年、トラウマメーカー確定の戦争映画を強制視聴させられているのに、とツッコみたくもなるが、そこは件の鬱屈だ。
 逃げ場のない15歳共。チャンネル選択権は我になし、人生の選択権も我になし、あるのはZ鑑賞のチャンスだけ……そうとでも考えないと、15歳の大半がこの話題に乗っかっていたのが理解出来ない。本気で理解出来ない、何だったんだ。
 後は、言わばカースト上位の子が、Zの話を広げていたらしい。カースト上位が『見に行く』と言えば、下々民は追随せざるをえないという事情もある。しかもこの時はかなり大々的に広がっており、DQNはDQNで一種の肝試しの状況に陥っていたと覚えている。
 つまり、『行かない』という選択を『しない』人間が、随分と少なくなっていた。

 しかし、私は行かなかった。
 途中まで行こうという気はあった。ここまで来ると集団心理も働いており、興味は無くとも行こうという気はあったが、何故かそれは消えた。『塾に行くから』程度の、その当時でも子供染みた理由で行かなかったと思う。かといって反骨精神で行かなかった訳でもない、1000円を惜しんだ訳でも、まして遺体を畏れた訳でもない。
 ともかく行かなかったので、実際を知らない。
 大多数が行ったとおぼしき上映の次の日……Zの熱は急激に下がっており、既に誰もその話をしなくなっていた。映画を見た次の日、誰もがその話をしたがるものと決まっているが、それは全くなく、Zそのものが無かったが如きに消え失せた。

 その後日談を何時、誰から聞いたか、覚えてはいない。
 ただ、非常に残念な結果だった。あるいは誰にとっても悲惨だ。
 聞くに上映当日、百人以上がZを見に行ったらしい。完全に狂っていたな、お前等、或いは俺達。上映場所は覚えていないが、推定される場所のキャパからして、15歳共が会場の大多数を占めていた、と考えられる……そして今更だが、映画には推定視聴客層というものが存在する。Zの場合は、社会派に興味がある、或いは捻くれたアングラ好き、はたまたこの監督のファンがその対象だろう。ともかく対象は、そういうものを知っている『大人』だ。
 なのに、衝撃シーンみたさの15歳共がドッと押し寄せた。

 そして、上映そのものが中止になった。
 あまりの客層違い過ぎに、そんな判断が下されたらしい。現代だったら、『SNSで湧いたDQNに妨害された』と間違いなく言われるだろうし、そう判断されるだろう。だが当時の15歳達はともかくただもうひたすら超純粋に、『実際に遺体を掘り出す衝撃シーン』を見たかっただけなのだ。
 というか、それだけを見たかった。なのに、上映は中止された。
 後に再上映が決定したが、その頃にはZ熱はすっかり冷め切っていた。それでも見に行った猛者もいるらしいが、なんと、15歳にはまずかろうと、件の『お楽しみ』シーンが急遽カットされていたそうだ。
 そりゃあ皆、話題にもしなくなるわ。

 そうして一冬の、遺体探し騒動は終わった。

 スタンドバイミーの最後は、この言葉で締めくくられる。
『複雑な家庭環境のなかで仲間との友情を感じた12歳の頃のような友達は、二度とできることはない』
 Z騒動に関しては私も曖昧な記憶が多く、同窓会の時にでも聞こうか、と思う時もある。
 しかし今でも仲の良い当時の友人達は、複雑な言葉を投げかける。
『嫌がらせ体罰してきた先生がいるから無理』
『同窓会には**が絶体やってくるから、絶体に行かない』
 そして私も、『**絶体顔覗かせるし、友達ヅラされるの分かってるから行きたくない』と応えている。
 私はがっつりアラフィフだが、15歳の頃の嫌悪は、未だ根強く残っているものだ。

 余談だが、Zの基になった事件は、15歳共の大半が発生した年、1976年の出来事らしい。
 奇妙な縁だとは思う。

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