心にもないこと
帰りのホームルームが終わり、生徒たちが次々と下校する中、◯◯は一人の女生徒の帰り支度を待つ。
「ごめん、もう少し待ってて…」
彼女の名前は池田瑛紗。
◯◯と瑛紗は物心つく前からの幼馴染で、何の因果か幼稚園から高校までずっと一緒だった。
「いいよ、ゆっくりで」
「うん、ありがと」
瑛紗は内気で大人しい性格をしており、◯◯以外に友人と呼べる存在はいない。
少し抜けているところもあり、◯◯はそんな瑛紗を放っておけず、いつも彼女の帰り支度を待っていた。
「お待たせ」
「よし、それじゃ帰ろうか」
◯◯はさりげなく瑛紗の鞄を持つと教室を出る。
「いつもごめんね、私がトロいばっかりに待たせちゃって…」
「気にするなよ、俺らの付き合いなんだし」
「…ありがとう」
付き合ってこそない二人だったが、お互いこの関係性に心地良さを感じていた。
そんな時、平穏な現状を大きく変えるような出来事が起こる。
きっかけは◯◯たちの高校にテレビ局のロケが入ったことだった。
素材は良いがそれを活かせていない若者を、芸能人のプロデュースで垢抜けさせるという内容で、その対象として瑛紗が選ばれたのだった。
ボサボサの髪の毛にイケてない眼鏡、そして全く化粧っ気がないことから全く目立つ存在ではなかったが、その素材は抜群だった瑛紗。
一流の美容師とメイクアップアーティストにより、瑛紗は別人のように綺麗に変身した。
元々目鼻立ちが整っていたことからメイク映えも抜群で、人気アイドルにも引けを取らないレベルだった。
その番組が放送されると、瑛紗の生活は一変した。
放送終了後からSNSでバズっており、学校では休み時間のたびに人だかりができるような人気者になった。
◯◯はそんな瑛紗を誇らしく思うと同時に、大きく変わっていく彼女に一抹の寂しさも感じていた。
そんなある日、いつものように二人で帰っていると、瑛紗から衝撃的なことを告げられる。
「今日ね、昼休みに告白されたんだ」
「告白?誰に?」
「サッカー部の△△くん。番組の前から気になってたんだって…」
瑛紗に告白したのは、学校で一二を争うイケメンで、サッカー部でキャプテンも務めている生徒だった。
(絶対嘘だろ、前は存在さえ認識してなかったくせに…)
◯◯は心ではそう思いつつも、それを口に出すほど馬鹿ではない。
「…瑛紗は何て答えたの?」
「考えさせてくださいって。あんまりよく知らないし…」
「そっか…」
ひとまず瑛紗の言葉には安堵しつつも、ここ最近どこかモヤモヤし続けていた◯◯は、つい心にもないことを言ってしまう。
「まあでも、瑛紗に彼氏ができたら、面倒からも解放されるな」
「え…?」
◯◯は言ってからしまったと後悔した。
「やっぱり私、面倒だった?」
瑛紗は大きな瞳いっぱいに涙を溜めている。
「あ、いや今のは…」
「…ごめんね」
そう言い残し、瑛紗は逃げるようにその場を走り去った。
(ヤバい、完全にやっちまった…)
◯◯は慌てて彼女の後を追うが、その時既に瑛紗の姿はなかった。
(くそ、なんで俺はあんなことを)
◯◯は残った後味の悪さを噛み締めながら、一人で帰路に就くのだった。
「今まで迷惑かけてごめん。明日から一人で大丈夫だから」
瑛紗からのそのLINEを最後に既読も付かなくなり、二人は学校でも一言も交わさなくなってしまった。
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それから少しして、瑛紗がサッカー部のキャプテンと交際を始めたという噂が校内を駆け巡った。
瑛紗の近くにいつもいた俺は、男子生徒からあまり快く思われていなかったようで、いじめられてこそなかったものの孤立しかけていた。
今ではすっかり人気者となった瑛紗と、立場が入れ替わってしまったようだった。
「はぁ…学校ってこんなにつまんなかったっけ」
教室も居心地が悪いので、当てもなく校内を彷徨う。
すると、とある空き教室から話し声が聞こえてくる。
「なぁ、池田とはもうヤったのかよ?」
「いや、あいつ意外とガード固くてさ、まだキスもしてねえよ」
「えぇ、まじか!手が早い△△にしては珍しいな」
どうやらサッカー部のキャプテンと数人の取り巻きが猥談をしているようだ。
「陰キャでコミュ障でも顔だけはいいから付き合ったのに、ヤれないんじゃ意味ないんだよなあ」
「まあそう言うなって。あの顔は相当なもんだろ」
「それもそうか。いっそ強引に一発ヤって、ハメ撮りでもして脅せば言いなりになるかもな」
「ははっ、そりゃ名案だ。やっぱ悪いやつだよなぁ△△って」
その瞬間、◯◯の中で何かが切れる音がした。
教室のドアを勢いよく開け、中にいた△△の胸ぐらを摑む。
「お前…今何て言った?」
◯◯の突然の登場に、△△たちは動揺を隠せないようだった。
「お、おい◯◯、いきなり何すんだよ!」
「質問に答えろ!瑛紗をどうするって?」
取り巻きたちは◯◯の勢いに圧倒され、一歩も動かずにいた。
◯◯は怒りに任せ、△△の胸ぐらを掴む手に力が入る。
「俺があいつをどうしようと、お前に関係あんのかよ」
「…瑛紗は俺の大事な幼馴染だ。関係ないわけないだろ」
「はっ…ただの幼馴染が彼氏面かよ、うぜぇな!」
△△はそう吐き捨てると、◯◯の手を乱暴に振り払う。
「聞いたぞ?お前あいつと喧嘩して絶交状態なんだってな」
「…だったら何だよ?」
◯◯は△△の指摘に動揺しつつも、強がってみせる。
「結局お前には何もできないってことだよ。まあ安心しろ、俺がお前の代わりにあいつを可愛がってやるからさ」
△△はそう言って◯◯の肩をポンと叩くと、取り巻きを連れて教室から出て行こうとする。
「…待てよ」
ドゴッッッ!!
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◯◯は一週間の自宅謹慎処分となった。
△△を殴り付けた◯◯は、取り巻きたちに取り押さえられ、騒ぎを聞き付けた教師によって生徒指導室に連行された。
反省の態度は見せるものの、殴った理由については最後まで明かさなかった。
△△側も余計なことを言って自分の立場を悪くしたくなかったのか、結局生徒間の小競り合いとして処理された。
両親にも「ムカついて殴っただけ」と説明していたが、◯◯をよく知る二人には見透かされていただろう。
それでもそれ以上は追求してこなかったのが、◯◯にとって何よりの救いだった。
翌日、家庭学習や反省文の作成に励んでいた◯◯だったが、予期せぬ来訪者が現れる。
「久しぶり…」
実に一ヶ月以上振りに言葉を交わす。
出会ってからこんなに話さなかったのは初めてかもしれない。
「聞きたいことがあって来たの」
「…何?」
「△△くんのこと、殴ったって本当なの?」
△△から何か聞いたのだろうか。
◯◯は少し考えたが、素直に答える。
「…ああ」
「なんで?」
「ムカついたから」
「それだけ?」
「…そうだよ」
「もしかして私が原因だったりする?」
「関係ない」
瑛紗は◯◯の顔を真っ直ぐ見つめている。
嘘をついていないか見定めているようだった。
「そっか…」
そう言った瑛紗はどこか笑っているように見えた。
「…変わってないんだね、嘘をついた時に唇を噛み締める癖」
◯◯はハッとして口元を隠す。
「やっぱり。△△くんからも何も聞けなかったけど、何か隠してるってことはわかってたよ」
「……」
◯◯は瑛紗から目を逸らし、黙り込む。
「◯◯、私のこと嫌いになった?」
「なるわけ…ないだろ」
「私はね、◯◯のことが大好きだよ。こんな私にいつも優しくしてくれて、助けてくれて…」
◯◯は黙って聞いている。
「でもそれに甘えて迷惑かけちゃったから、私のことを嫌いになったなら仕方ないって思ってたんだけど…違う?」
「…だから言ってるだろ、瑛紗のこと嫌いになんてなれるわけないって」
「じゃあなんで△△くんを殴ったりしたの?喧嘩なんてしたこともないくせに」
瑛紗は大きな瞳いっぱいに涙を溜めながら、◯◯に問いかけた。
いよいよ観念した◯◯は重い口を開く。
「悔しかったんだ」
「何が…?」
「俺の大切で…大好きな人を悪く言われて」
「っ…!」
◯◯のその言葉に、瑛紗は言葉を失う。
「陰キャだとかコミュ障だとか、顔だけだとか言われてるのが許せなかった」
思い返せば、瑛紗はいつも自分の話を笑って聞いてくれた。
どんなにくだらない話でも、できる限りまっすぐ目を見て聞いてくれていたんだ。
「◯◯…」
瑛紗の大きな瞳から、一粒、また一粒と涙がこぼれ落ちていく。
「俺の大事な幼馴染を悪く言われて…本当に悔しかったんだ」
「…ううっ、ひっぐ」
ここまでずっと黙って聞いていたが、ついに嗚咽が漏れ始める。
「そして、そんな瑛紗に思ってもないことを言ってしまった自分が、一番許せなかった」
つられるようにして、◯◯の瞳からも涙が溢れ始める。
「瑛紗が隣にいない生活はつまらなくて、つらくて、寂しかった。世界から色が消えてしまったみたいに…」
◯◯は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、必死に瑛紗に想いを伝える。
「もう遅いかもしれないけど、もう一度言うよ」
◯◯は一歩前に出て、瑛紗と目線を合わせる。
「俺は瑛紗が好きだ」
「…◯◯っ!」
もう限界だった。二人は抱き合い、声を上げて泣いた。
まるで過ぎ去った1ヶ月分を、取り戻すかのように。
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「私もね、離れてみて◯◯の優しさに気付けたんだ」
ようやく落ち着いた頃、瑛紗が◯◯に言う。
「準備が遅い私を急かさず待ってくれたり、歩く時は歩幅を合わせてくれたり…。△△くんと付き合ってみて、それって当たり前じゃないんだなって」
「…そっか」
「私も◯◯のことが大好き…だけど、もう少し待ってくれる?ちゃんと全部整理してから◯◯と向き合いたい」
「ああ、分かった。いつまでも待つよ」
「ありがとう…約束だよ?」
そう言って瑛紗が小指を差し出す。
「…うん」
◯◯は恥ずかしそうにしながらも、自分の小指を絡めた。
「よし、これで仲直り!」
瑛紗は嬉しそうに笑う。
(あぁ…やっぱりこの笑顔には敵わないな)
屈託なく笑う瑛紗を見て、◯◯は改めてそう思ったのだった。
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それから少し経ち、◯◯と瑛紗は付き合うようになった。
△△が何か良くない噂を広めているのだろうか、瑛紗の周りにあれほどいた取り巻きは、いつの間にかいなくなっていた。
「すっかり元通りになっちゃったな」
「まあ、ブームなんていうのは長続きしないものだからね」
「それもそうか」
◯◯と瑛紗はいつものように歩幅を合わせながら、帰り道を歩いていく。
さりげなく◯◯が車道側を歩いているのが、二人の関係性を表している。
「それに、全てが元通りになったわけじゃないでしょ?」
「どういうこと?」
◯◯が尋ねる。
「こういうこと…だよ」
瑛紗は恥ずかしがりながら、右手を◯◯の方へ差し出した。
「おっ、おう…」
◯◯は照れくさそうにしながらも、自分の左手で瑛紗の手を握る。
「ふふっ」
「何だよ?」
「◯◯、手汗凄いよ?」
「…そういうのって、思っても言わないもんじゃないの?」
「ごめんごめん」
悪戯っぽく笑う瑛紗の横顔が、夕日に照らされる。
◯◯はその美しさに、思わず見惚れてしまう。
「ねえ、◯◯…」
瑛紗が口を開く。
「これからもずっと私の隣にいてくれる?」
言葉とはあやふやで、時に真実が見えなくなる。
だからこそ、◯◯はその問いに力強く答えた。
「嫌がっても離れてやるもんか」
その言葉を聞いた瑛紗は、喜びを噛み締めるようにして微笑む。
二人はそのまま手を繋いで、ゆっくりと歩いていった。
(もう、何があってもこの手は離さない)
そう心に誓いながら、固く手を握り締めた。
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