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下書き供養 : 「寄り添う」とはどうすれば良いのか

下書き供養です。「人に寄り添うとは具体的にどうすれば良いのか」ということについて悩んだ時期に書いたものです。散文ではありますが、一番伝えたいことは書いてありますので、このまま記録として公開したいと思います。

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こんばんは。前々回 "もしも「死にたい」と言われたら" というタイトルで記事を書かせていただきましたが、今回はその続きで「寄り添うとはどうすれば良いのか(どのように考えれば良いのか)」ということについて書きたいと思います。前々回の記事を書こうと思ったきっかけは、「よく死にたいと思ったときに誰かに相談しましょうというが、相談された場合はどうすれば良いのだろうか」ということが意外と共有されていないと考えたからです。今回の内容も同じように、「寄り添いましょう」とはよくいうがどうすれば良いのかそれ以上具体的には語られることがないなと感じたからです。自分自身、誰かの話を聞いたりするときにきちんと寄り添えているかどうかはわかりません。しかし、少しでも大切な人に「話して良かった」と思われたくて、どのように寄り添えば良いのかということについては考えることは多いです。その考えについてきちんと文章についてまとめたくて記事にしました。間違いやご指摘、ご意見などあれば是非コメントまでよろしくお願いいたします。

可能な限り相手の心情を想像する

客観性を捨てる(その人の主観に立って)

認めること(当たり前)のハードルを下げる

さて、私が考える寄り添うための方法で重要なことは相手の主観を想像することだと考えています。相手の状況を考えたときに、その人はどんな感情になり、どのように思うのかを想像(?)することです。想像するというより自分の中にもう一人の自分を飼ってその自分に相手の状況を擬似体験させるということだと思います。

逆に客観性を捨てる必要があると思います。例えば仕事の悩みで苦しくなり相談しているとした場合、決してその人が完璧に仕事をできているわけではないと思いますし、その人自身にも解決すべきポイントもあることもたくさんあると思います。ただ、その時点では寄り添って話を聞くときには、「外からみたらどうなのか」(以下加筆)という視点は排除して「その人がどんな感情なのか」という視点から声をかける必要があると思います。

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あまりにも散文すぎるのでこれもまた修正していければと思います。

[編集記録]
2021.07.21. 公開


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