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なぜ物事に全力をかけなければいけないのか

私はこれまでの人生で「なぜ物事に全力をかけなきゃいけないのか」という疑問を持ち続けてきた。同時に頭の中でその理由を探り続けてきたのだが、1年ほど前からある結論に落ち着いたのでそれを記していこうと思う。

私たちは皆人生の中で、”全力を尽くしなさい”ということを何度も耳にしてきただろう。でもその度に、なぜ全力を尽くさなければいけないのか、ということについて納得のいく説明をされたことは恐らくない。

全力を尽くせば、努力をすれば結果が出る。そうは言うものの、結果が伴うことが常ではない。

私は、人はそれぞれ能力差があるため、皆が全力をかけたところで、現れる結果はその人の能力の最大値次第だろうと思っていた。
しかし、それは大きな勘違いであった。

なぜなら、人の能力の最大値は誰の目にも見えないから。

勘のいい人はこれから私が言いたいことがわかっただろう。

この発見から私は1つの例えを思いついた。
ここでは勉強について考えてみようと思う。

まず、その人の能力(頭の容量)をバケツに例えよう。
そして、勉強とはそのバケツに知識という名の水を貯めていく作業とする。ここでは水(知識)が点数に直結するとする。

先に述べたように、人の能力の最大値は本人にすら分からない。つまり、このバケツの大きさは誰にも見えないのである。ただ水の入れ口が見えるだけなのだ。

もしここで水を多くバケツに入れた人が勝ちだとすると、あなたならどうするだろうか。

きっと、水が溢れるその時まで水を注ぎ続けるだろう。

なぜか。それはどこまで水が入っているのか、いつバケツが満杯になるかが分からないからだろう。

つまり、限界が見えないからこそ、全力で我慢強く水を入れ続けなければならないのだ。

私たちは普段自分の限界など見えないのにも関わらず、この辺が限界だろう、などと言ってこの水を注ぐ作業を諦めてしまう。水を注ぎ続けたらあなたのバケツは世界の誰よりも大きいかもしれないのに。

「私には才能がないから」

なんて人々は言って諦めるけれど、いったいどこにそんなことを示す証拠があるというのだろうか。

そんな言葉は、あなたが水を注ぎ続けることをやめるために苦し紛れに出た「逃げの言い訳」にしか過ぎない。

だからこそ「才能がない」なんてことを理由に諦めるべきではない。

それは「全力を注ぐこと」からあなた自身が逃げただけにすぎない。

人は皆、言い訳をする才能を持っていると私は思う。
しかし、その才能を使い続けた先に見えるのは何も成し遂げることの出来ない人生だ。

そんな人生が嫌ならば、自分で見えもしないバケツの大きさを推測したりするのはやめて、可能な限り水を注ぎ始めるべきだ。

全力で水を注ぎ続ければ、これまで見えてこなかった世界が見えてくるはずなのだから。





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