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語りたい音楽 『大江千里』 by azul

語りたい音楽、
カフェといえばのazulさんの語りたい音楽は
大江千里さん。
語っていただきました。

「大江千里というはじまり」
誰かが、YouTubeに上がっていた昔の大江千里のPVのコメント欄に
書いていたことがある。
「今聴くと、槇原敬之の原型みたいだ」と。

槇原敬之は、official髭男dismが出てきた時に、世代交代を感じたと。
それを踏まえると、私のPOPのはじまりは大江千里ということになる。

14歳。身体的にも精神的にも、小学生の「こども」から少しずつ成長していく頃。それなりに、誰かと付き合ったり別れたり、
友達の恋愛相談にのったりのってもらったりが増えてきた。

そうすると、聴く音楽にも共感するものが増えてくる。
よく聴いていたのは、happyな曲よりも、
歌詞やメロディーに何か切なさを感じる曲。
そういう曲が好みのちょっと闇を持つ中学生だった。

そこに現れたのが、シンガーソングライター・大江千里だ。
関西学院大学在籍中にデビュー。シュッとして聡明な、
今で言う草食系眼鏡男子だ。

最初に何を聴いたのか、実はさっぱり覚えていない。
ただ、草食系眼鏡男子の歌うPOPなサウンドに、どっぷり浸かってしまったのだ。
1995年くらいまでリリースされた曲で歌えない曲はないくらい、
とにかく彼に染まっていた。

まだ若かった千ちゃんは、ややアイドルの風合いもあったかもしれない。
中学3年の時なんて、眼鏡をかけた目が細めの若い先生に、大江千里に似ている(眼鏡と目だけ)ということでファン公言して騒いでいたくらい。
今考えると痛い黒歴史だ。

大江千里の真骨頂は、歌詞とメロディーにある。

happyなものもあるが、6割は切なさや痛みを伴ったものが多い。
POPな曲も好きだったけど、
「rain」「きみと生きたい」などのスローテンポの曲の方が圧倒的に好きだった。切ないメロディーと胸が苦しくなるような歌詞に惚れていた。
今でこそカバーされたりしているが、
原曲が大江千里だと知る若者は少ないと思う。
渡辺美里に提供した「10years」などは、この上ない切なさで、歌いながら泣いてしまう彼女の映像も観たことがある。それくらいメロディーが秀逸。

当時14歳そこらで、恋愛やら世の中の切なさを経験していた訳はない。
憧れとか想像では共感できる内容ではなかった。
なのに、そこに何かを感じていたなら、秀逸なメロディーに感化され、
前世の記憶が何か呼び起こされていたのかもしれないなんて、今では思う。

大江千里を半ば卒業したのは24歳くらいの時。
結局かなりの年月、彼の楽曲を愛していた。
というか、今でも素晴らしい曲と彼の歌声が好きなことには変わりない。

YouTubeで、昔のラジオの特番ライブなんかを聴いたりして、
そのメロディーと歌声に耳を傾けることがある。
今聴いても遜色ないくらいいい曲ばかり。

そんな千ちゃんも、もう60歳。
今はNYでジャズピアニストとして活躍している。
もう歌うことはないと宣言しているのが惜しい。

YouTubeなどで近況の様子を観て、
音楽を楽しんでるところも変わらない人柄も、
そして歌声と違う普段の話す声がツボで、
今でもやっぱり愛おしいなと思ってしまう。

azulaさんが大江千里さんを好きだったのも知らなかったし
店主は本当に初期の数曲をなんとなくしか知らないのですが、
なぜかこの頃、「boys&girls」の歌詞
"歌詞カードも読めないくらい印をつけたヘレン・レディ”
って一節は洒落とったなあ、とこの曲が頭をよぎることが多かったので、
これを語ってもらった時、ビックリしました!

ご近所さんであるが故ののテレパシーでしょうか…??

ふんわりとした記憶ですが、この頃のミュージシャンは、
洋楽の影響を受けて当たり前、の時代だった気がします。
当時こんな感じのロックでも所謂ニューミュージックでもない
ポップスを歌うシンガーソングライターは稀有だった気がします。

またazulさんに聞こう!

azulさんにはもう一つ語っていただいたので、また後日!


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