見出し画像

ふるあめりかに袖はぬらさじを観劇して考えさせられた話

9月5日夜公演にお邪魔しました。
今の感情をなんとか文章に残したいと思って、うまくまとまらないですが書きます。(執筆は観劇当日)
ストーリー展開のネタバレも含んでいます。

時代とはいえ、こんなに不自由な世界があるのかというのもしんどいポイントでしたが。
でもそれ以上に今の世の中にも通じるところがあるような気がして
生きていくために嘘をつかざるを得ないこと、前を向くために真実を捻じ曲げてしまうこと、自分たちの都合の良いように物事を解釈・改竄してしまうこと。

中でも私が一番つらかったのは、薮くん演じる藤吉が、美村さん演じる亀遊の最期の真実を曲解してしまったこと。
亀遊を見初めたアメリカ人の通訳をするやるせない藤吉の表情、そんな藤吉を絶望して見つめる亀遊の表情、そして亀遊が自ら命を絶ったと聞いた藤吉が部屋を飛び出していくシーン、あの瞬間の表情、背中、羽織物の裾の靡き方(薮くんの衣装の裾捌きがめちゃくちゃ好きな私です。)、そのすべてから2人がどれだけお互いを想っていたかがひしひしと伝わってきた。
パンフレットのインタビューでまさに、"物語の前半で、どれだけ2人の関係を表現できるかがその後の展開に重要"と語られていた通りのものだった。第一幕のお薬アーンの甘々シーンや亀遊が湯呑みを指で弾くシーン、掠れた声で藤吉が名前を呼ぶシーンも、全て第二幕の悲劇をさらに引き立てていた。
だからこそ第三幕の展開がつらい。
もちろん想い合っていたからこそ、想い合っていたけど添い遂げることは難しいとわかっていたからこそ、"自分のせいではない"となんとかして割り切らないと、言い聞かせないと気持ちが保たなかった、堪えられなかったんだろうと思う。それこそ前を向くために。志を果たすために。
でも、想い合った相手の最期をそういう風に曲解してしまうのは…つらい。どうしようもなかったとは言え、つらい。
追い縋るお園を尻目に、藤吉が花道から舞台を去っていくシーンで涙がこぼれた。一瞬立ち止まって振り払うように息を吐いた藤吉、いや薮くんの演技が天才的。私たぶん一生忘れない。
余談だけど、アメリカに渡った藤吉の後日譚知りたい。

物語はそれ以降も嘘やごまかしが続く。
第三幕の、お園が亀遊の幻を見るシーン、あの時の大竹さんと美村さんの表情鳥肌立った。
第四幕のお園が堂々と作り話を述べるシーン、客席からはところどころ笑いも起きていたけど、私は、いや人間って怖いな、ここまで嘘を塗り固めることができるんだ、と、淡々とした大竹さんの語り口や表情も相まって心底恐ろしくなった。
ただ、お園の最後のセリフからも、本当はものすごく後ろめたい、申し訳ない、という気持ちがずっとあったんだろうなとも思える。

終幕後の感情としては、驚きと、怒りと、
でもその次に来たのは、『じゃあ自分は今どうやって生きてるの?』という問いだった。本当に嘘ついてない?誤魔化してない?
…いや。私も毎日をなんとかこなしていくために誤魔化してることなんていくらでもある。周りの人を不幸にする嘘はついていないと思うけど…たぶん。
これ読んでくれてる皆さんはどうですか?
ぶっちゃけ、こういう面があるの、たぶん私だけじゃないでしょう?

どんな時代でも変わらない人間の本質、やっぱりどこか自分本位なところがあって
ずっと後ろ向きではいられないから、どこかで割り切ることももちろん必要なんだけど、それが誰かを不幸にしていないか、誰かに泥を塗るようなことになっていないか、そこまで考えを巡らせることができる人間になれたらいいなと思った次第です。

本当に取り留めもない文章になってしまった
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?