スクール(反省文下書き)


もともとは、いいアイデア、というよりも、最高のアイデアとしてスタートしたはずでした。

前身となる「塾」の反省点を踏まえて、より洗練された、さらに言えば「塾長の独裁」のないクリーンな「スクール」となるはずでした。

しかし、予想していたとはいえ、立ち上げから軌道に乗るまでに時間がかかり、経営的にというよりも、もっと根本的なこと、すなわち、運営の理念が漠然とし過ぎ、そのせいで、具体的なカリキュラムまで大きく影響を受けて変動し続けました。

講師にも生徒にもそれぞれ疑心暗鬼が広がり、耳を塞ぎたくなるような言葉を吐いて脱退される方もいました。何よりも最悪なことにそのような言葉はすべて正論であって反論の余地も無いにもかかわらず、その場その場に都合の良いスローガンなどで後ろめたさをごまかし、去っていった真面目な人たちをメーリングリストや会議と称する雑談の場で罵倒したり揶揄を言い合ったことでした。

さらに、無事にお墨付きをもらって、スクールの成果として卒業された人の中に、何故か「優越感」のようなものを持ってしまった方が散見されてしまったことも悔やまれる点です。

優秀とされた人ほど、その罠に自らはまり、その優越感のようなものを「使命感」のようなものと取り違えて、態度が変貌してしまいました。名称にこだわることや、先輩後輩・先生生徒の地位などは、「分離感」の代表みたいなもので、私たちの考え方とはほど遠いことすら理解できず、これもやはり、その場その場に都合の良い理屈で自分の言動を正当化して、引き返すことができなくなっています。

せめてちゃんとした施術が出来れば、とも思いますが、技術・知識としては一定のレベルでの習熟がみられる人がいるものの、講師ですら波動具に頼る状況ですから、この点はなんのアドバンテージもありません。自信があるせいか良い結果を出すケースもあり、これは喜ばしいことですが、本来の「一体感」とは真逆の手法をとっていることを自覚できていないことが、今後にどのように響くかは気になるところです。

彼女たち(多くは女性ですが、優秀な人が多いのでしょうか。単に認めていただきやすいということもありますが)は、個々をみれば、とても良い人たちです。人の役に立つことを考えて、実際に行動できるという、普通に出会えば心から尊敬できるタイプの人たち。もっとも、だからこそ、彼女たちが陥っている状況が分からないような人たちからはフォロワーも現れていて、かえって勘違いの悪循環を強固なものにしています。

優秀な彼女たちがそれぞれに抱えた孤独感や、不充足感、自己顕示欲、自己否定感の裏返しの、過度の自己肯定アピールなどの素質が、スクールでの学びをきっかけに火がつき、燃え上がり、周りを、そしてなによりも彼女たち自身を焼き尽くそうとしています。

このことがなかったとしても、彼女たちは遅かれ早かれ、自分たちの自我を満たしてくれる「何か」を自分の外に求めて、自我の炎に焼かれてしまう運命だったのかもしれません。

しかし、「すべては内に」という、ただそれだけを学ぶ場所で、このような結果になったことは、やはり本当に残念としかいいようがありません。

そして、このようなことが起きたのは、私たちの「鏡」としてのあらわれだと思います。
良い行動をするという旗印に隠れて、私たちの慢心・歓心を買いたい下心・自己顕示欲・選民意識・優越感・執着心が、それを持っている彼女たちと共鳴し合った結果なのでしょう。

申し訳ないことをしました。具体的な名称や勉強会の主催など、様々な体制にまでのちのち影響を与えることも悔やまれますが、リセットできるところは、この度のスクール刷新を機会に、徐々に改善し、封建制下の閉鎖的な「ギルド」を否定する、オープンなグループにみなで立ち返っていきたいと思います。

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