誰も知らない待ち合わせ

「その筆箱素敵ね」

人の少ないフードコートで参考書を広げていた。英文と睨めっこするわたしの耳に、少し高くて柔らかい口調の声が滑り込んでくる。

「あ、有難う御座います」

いたのは、背中の少し丸まった御老齢の女性だった。

「ランドで買ったの?」

「はい、プーさんです」

「そう、可愛い。貴女によく似合うわ」

ちょうど2年前、後輩と行ったディズニーランドでプーさんのハニーハントに乗ったわたしはまんまとその可愛さに惚れ込み、勢いでプーさんの筆箱を買った。

シリコン製で、2年使っても殆ど汚れず壊れそうもない。
そろそろ替えよう、と思っていた。

ディズニーランドに行くか。
何を見て、何を買ったのか。
ショッピングモールに寄るか。
どの席に座るか。
果てはどんな顔で生まれ、どう育ち、何を思っているのか。

一見どうでもいいような、どうしようもないような事で、誰も知らない待ち合わせ。


わたしがいつの間にか選び取った運命の先の出会いに顔が綻び、わたしは有難う御座いますと女性に頭を下げた。

わたしはあの日、いつか出会う人に「その筆箱素敵ね」と言われるためにこれを手に取ったわけではないけれど、きっとそうでないからこそ、今日の言葉にこんなにも心を温められてしまう。

未来は簡単に変わってしまうから、本意も不本意もやがて認めてゆけるような。

そう思えない日があってもいい。
運命に耐えかねるときに耐える必要はない。

でも、簡単に何かを好きになって、嫌いになって、やっぱり好きになる。わたしはわたしなのだから、やっぱりそれだけでひとつずっと正しい。愛するしかないような気すらする。

都合の良い解釈はするりと喉を通り、日頃の言葉にならない渇きを潤してゆく。

多分明日のわたしはいつも通り自分のことなんて嫌いだけど、こんな文章消したくなるかもしれないけど、筆箱を買い替えるのはもう少し先にしようと思った。

それくらいの愛情が、きっとずっと正しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?