もう子どもには戻れない
2020/11/14
公園で昼食。小学生四人が薄着でボールを蹴っている(これを書く間に五人に増えていた)。
わたしの足元にボールを転がしてすみません、と少年が声を上げた。
こっち側に来た感覚。
彼らにはわたしが大人に見えるのだろうし、実際わたしはもう殆ど大人だった。葉を運ぶ風と秋にしては強過ぎる陽射しが、わたしにこれからはもっと外に出なさいと告げる。
歳を重ねて、友だちになりましょうという契りがなんとなく必要になった、という話を聞いて妙にしっくりきたことを思い出す。
生まれてよかったことなんて一つもない。
そんな強固だったはずのわたしを守ってきた思想たちも、楽しそうにボールを蹴る子どもを見るだけでほんの少し揺らいでしまう。
私が頼っているものは所詮その程度だった。幸せを前に崩れてしまう、最後の砦が砂の城だなんてと思っていたけれど。
やっぱり寂しいな。陽射しが熱いのに、身体が静かに冷えていく。
社会にとってどこまでも正しくいられないことで、普遍的な孤独の上に任意の孤独をまた重ねている。
本当に自分で選び取ったことなのだろうか?
顔のように、才能も、性格も、思想も、願望も、もしも全て生まれ持ったものだったなら。
ー幸せは程近い。わたしたちはいつだって、何処へでも行ける。
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