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2020年 小学生部門 優秀賞・ニャーロウ賞

◎優秀賞 森 小久良さん(小6)

読んだ本――『月の光を飲んだ少女』 ケリー・バーンヒル作 佐藤見果夢訳 評論社

【作品】
「いつもとは違うこと」

 書店や図書館で読みたい本を見つける時、どうやって探していますか?宿題で読まないといけない本や、誰かが「面白かった」と言っていた本とか無くて、ただ「なんか新しい本が読みたいな♪」と思って図書館へ行った時のことです。たいていは、本棚にずらっと並んでいる、たくさんの背表紙をながめながら、気になる題名を探していきます。気になる題名を見つけると、取り出してパラパラと読んでみて、また本棚に戻したりカートに入れたりします。読みたい本を見つける手がかりは『題名』だけ。私は、『題名』から物語の内容を想像して読む本を選んでいました。
 そうして選んだ本を読んでみると、思っていたのとはちょっと違うお話や、中には「どうしてこの題名???」と思うものもありますが、ほとんどが読む前に想像していたような物語です。もちろん楽しく読んでいます。ということは……「いつも私は自分の好きなものしか読んでいないのでは?」と気づいたのです。
 そこで、この夏休みに読む本は、「題名だけではお話の内容が想像できない本」を選ぶことにしました。そんなつもりで本棚をながめていくと、意外と内容が想像できない本は少ない気がします。そして、この『月の光を飲んだ少女』を見つけました。
 毎年「いけにえの日」に赤ん坊を魔女に捧げる保護領と、ルナという少女を育てる人々の物語です。ルナは、いけにえにされた赤ん坊の時、魔女ザンに助けられたものの「月の光」をうっかり飲んでしまい魔法の力を持ちました。十三才までは魔法の力を使えないように、ザンや沼坊主グラークと竜の子フィリアンに守られながら過ごしていました。
 そんな日々に変化があらわれます。ずっとしきたりに従って過ごしている事に疑問を持つ人が出てくるのです。
 これまでのように、自由市で里親を探さずルナと家族になったザン。何も考えず、ただしきたりに従う事ができず、赤ん坊を想って狂った女。これまで、出て行った者は誰も居ない塔を出て行ったエサイン。しきたりについて考え行動を起こしたアンテイン。旅に出るグラークとフィリアン。いつもと違うことをするには勇気が必要です。私には、他の人と違うことをする勇気はありません。それぞれが希望に向かって行動できるのを、うらやましく感じます。
 場所も時代も違うお話が、いくつも同時に語られています。あとがきにも『読み手が誰に共感するかによって、主人公が変わってくる』とありました。私は、誰にも共感していなかったので、バラバラだと思っていた物語が、最後にはすべてつながって、ひとつの物語になっていったとき「そうだったのか!」と、何度も戻って読み返してしまうほど気持ちよく感じました。
 印象に残っているのは「悲しみを見せてはいけない」「悲しみは危険だ」という、魔法使いゾシモスがザンに忠告した言葉です。人の悲しみを喰らう魔女を倒すには、悲しまなければよいのです。「悲しみの代わりに希望を」「あたしの愛は、分けられない。増えるだけよ」というルナの強さと優しさに、私は「色んな気持ちでごちゃごちゃだよ!」と、フィリアンのようにとまどってしまいました。
 読み終えてみると『月の光を飲んだ少女』という題名は、物語の内容を完璧にあらわしていました。でも、いつも通りに読みたい本を探していたら、こんなにやさしい気持ちになる『月の光を飲んだ少女』を、私が手に取ることは無かったと思います。私も、いつもと違う行動が出きていたみたいです。
 「いつもとは違う」本選び!おすすめします!
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◎優秀賞 波多 美理愛さん(小4)

読んだ本――『ファーブル昆虫記』 ジャン・アンリ・ファーブル作 奥本大三郎訳 集英社

【作品】
「ファーブルのまなざし『ファーブル昆虫記』を読んで」

 「フンコロガシ、おもしろいねぇ。不思議だねぇ。」
本を読む私のとなりで夕食を作っていた母に、不意に話しかけていました。いいえ、もしかしたらひとり言だったのかもしれません。私は本当は虫がきらいです。でも『ファーブル昆虫記』を読んでいると、フンコロガシもかわいらしいものに感じられてきました。
 これはたぶん、ファーブルのやさしいまなざしによるものではないでしょうか。ファーブルは、虫を愛するものとして見ていたのです。私は今までそんなふうに虫を見たことはありませんでした。フンはきたないものという思いこみがありました。でもファーブルは、フンコロガシについてどんどん調べていき、色々な習性を発見していきました。だから私はファーブルのような目を持つ人に出会い、
(そんなふうに自然を見れたらいいな。)
と、すっかりあこがれてしまったのです。
 ファーブルについてもっと知りたくなりインターネットで調べてみると、東京にファーブル昆虫館「虫の詩人の館」という資料館があると知り、早速行ってみることにしました。ファーブルが生まれた南フランス、サン・レオン村の家が本物のざい料でさいげんされていて、昆虫記に登場する昆虫の標本も見ることができました。資料館で昆虫を見ていくうちに、虫の種類は他の動物とはくらべものにならないほど多いことに気付きました。館長さんの説明の中に、「地球の主人公は虫たちかもしれません。」という言葉がありました。虫のいる場所には、虫をえさにする鳥や大きな動物も集まります。虫が住みやすい場所は、人間や動物にとっても住みやすい場所だということです。
 『ファーブル昆虫記』は、ファーブルという虫が好きな作者が、たくさんの虫を約六十年間も観察して書いたものです。道を歩いていても気付かずに通りすぎてしまいそうな小さな虫たちも、よく観察していくと色々なことがわかります。知りたがりだったファーブルが残した観察記録には、昆虫が生きていく知恵があちこちに書かれていました。すいこまれるように読んでいくと、大自然のひみつまでわかってしまいそうでした。
 自然界にはいくつのフンがあるのでしょうか。フンコロガシはそれを食べて、利用して、地球のそうじまでします。しかもこの仕事には、たくさんの生き物がさんかしています。フンも動物もみんなかい体されて、消化されていくのです。私もこの大きな自然の中で、ほかの生き物と共ぞんし合って生きているのだと深く考えさせられました。
 そこで私は、地球の未来のすがたを想ぞうしてみました。このまま二酸化炭素がふえ続けたら、三十年後はどうなるのかな。ひさんな未来も、明るい未来も、その中心にいるのは私達です。私達がこの地球のために何ができるか考えていくことこそが大切なのです。てのひらでそっとつかめるほどの小さな虫が、生物としての活動によって地球を守っています。私達はこんなにも大きくて、深いことを考える知恵もあります。私達にも何かできるはずです。たとえばゴミひろい。フンコロガシのような虫や植物が安心して生活できるようにするのも、りっぱなはたらきかけです。近くへ行く用事なら自転車を使ってみてはどうでしょう。いつもは見すごしてしまう草や花のにおいに気付けるかもしれません。
 考えられることは、全てとても小さなことばかりです。でも大切なのは、一人一人ができるだけの努力をすることです。それが合わされば大きな力になると信じることです。小さな虫にも、世界をすくう手助けができるのですから。ファーブルはかせが私達の知恵とアイディアを期待して、ほほ笑んでいるすがたが目にうかびました。
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◎優秀賞 三原 真理愛さん(小4)

読んだ本――『きのうのぼくにさようなら』 ポーラ・フォックス作 掛川恭子訳 あかね書房

【作品】
「本当の自分」

 ある日ガスが自分の部屋で本を読んでいると、
「ガス、リンゴをとってきてくれる?」
お母さんが言いました。
ガスがリンゴの木の方に向かうと、例の井戸の近くにリンゴが一つ落ちていました。ガスがそれを手に取ると、井戸の中から何やら音がしてきました。
「何だろう?」
ガスが井戸の中をのぞきこむと、底の方で何かが光っています。もっと見たいと思い身をのりだしたしゅんかん、ガスは井戸の中に落っこちてしまいました。
 痛む背中をさすりながら目を開けてみると、目の前に大きくきらきらとした岩がありました。そして不思議なことに落ちた痛みでゆがんでいるはずのガスの顔がその岩に映ると笑顔になっているのです。ガスは久しぶりに見た自分の笑顔になんだかはずかしい気持ちになりました。
 その日以来、ガスは学校から帰ると毎日その不思議な岩のところに行って遊ぶようになりました。岩に映るガスはいつも笑顔でいるので、ここにいるとどこかに忘れてしまった表情を取り戻したような気持ちになれたのでした。
 ところがある日、いつもと同じように岩の所に遊びに行くと、その中に笑顔の自分がいません。ガスがあわてて岩にふれたとたん、ガスはその岩の中に吸い込まれてしまいました。
 気がつくと、そこは学校の校庭でした。今はちょうど休み時間、みんながおしゃべりする声が聞こえてきます。
「やあ。ガス」
 と、後ろから誰かに話しかけられました。あわててふり向くと、そこには親友のチャーリーがいました。ガスはチャーリーと一緒に教室に入っていき、自分の席に着きました。隣は、そう、あのちょっといじわるなフロンダです。フロンダはいつも人の弱点を見つけては、そのことを周りのみんなにぺらぺらとしゃべるのです。
ガスも以前、
「あなたはいつも同じ顔。怒っているのか笑っているのかさっぱりわからない。まるでお面をかぶっているようね。」
とクラス全員の前で言われたことがあり、それ以来とっても苦手な相手なのです。
 そんなある日、フロンダがガスの前にやってきて、
「ねえ。ポアロっておっちょこちょいよね。この間だって平らな道で転んでいたわ。忘れ物も多いし、落とし物も多い。」
と話し始めました。ガスはいつもの無表情でだまりこみ、手の中でしょうどう石をころころと転がしていました。それでもフロンダは話し続けます。すると、手の中のしょうどう石がかすかに光ったと同時に、
「そうかもしれないけど、ポアロはいつも本を読んでいて、とても物知りだよ。」
ガスの口が勝手にしゃべったのです。フロンダはそんなガスの言葉にいっしゅんだまりましたが、その後続けてまた別の子の弱点の話を始めました。
「タートルってば食いしん坊よね。いつもみんなの給食までたいらげるわ。」
するとすぐ近くを通ったタートルの親友サムが、
「僕の親友をばかにするな。」
と言ってフロンダにつかみかかりました。すると
「サム、そこがあなたの弱点。すぐに人にケンカをしかける。」
とフロンダ言いました。
そこでガスが勇気をふりしぼって二人のケンカに入り込みました。
「たくさん食べるのは悪いことじゃないし、それにタートルは言葉をいっぱい知っているよ。そしてサムはみんなをたくさん笑わせてくれるじゃない。」
いつの間にかフロンダとガスの周りにみんなが集まってきていました。
そこでフロンダは、
「ガス今度はあなたの番よ。あなたその変な石をどんな時も手にもって転がしているわね。それにいつも無表情。何を考えているかわからないわ。お面みたい。」
と言い放ちました。
「でも、でもぼくは、、。」
ガスはそういったまま黙り込んでしまいました。すると、ポアロが
「ガスは人のいいところを見つけられるのだから何か言い返せるわよ。」
といいました。するとそれを聞いたサムが
「そう!それだ!人のいいところを見つけられるところ!それがガスのいい所だ。」
と叫びました。みんなはそれを聞くといっせいに歓声をあげました。ガスはみんなに
「やったね!」
と言われました。
そしてサムやタートルには、
「ありがとう」
と言われました。フロンダは何やら悔しそうに歯を食いしばっていましたが、そこでガスが言いました。
「フロンダ!君は走るのがとっても早いよね。君は運動会のヒーローだ。」
と。すると持っていたしょうどう石がガスの手の中で光りだし、その光はどんどん強くなってクラスのみんなの心の中に入っていきました。そのあまりのまぶしさにガスは目をつむってしまいました。
 少したちガスが目を開けると、そこはベットの上でした。窓の外では小鳥がさえずっています。
 夢だったんだ、、、
ガスは思いました。でもガスはもう昔のガスではありません。そうです、ガスは笑顔を取り戻したとともに自分に自信を持てるようになったのです。
 ガスは朝の心地よい空気を胸いっぱいに吸い込みました。そしてベットを整えると、今日もいつも通りいい匂いのするキッチンに降りていきました。


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◎ニャーロウ賞 鈴木 結菜さん(小6)

読んだ本――『チーズはどこへ消えた?』 スペンサー・ジョンソン作 門田美鈴訳 扶桑社

【作品】
「私達のチーズと可能性」

 きれい事だ。最初そう思った。
「進んですばやく変わり再びそれを楽しもう!」
楽しむ。一回すばやく切りかえて変わることは、果たしてそんなに簡単にできるのだろうか。変化はいつ起きるか分からない。もう起きているのかもしれない。変化にすばやく対応すれば、私も変われるのだろうか。未来をおそれず考え、感じたことだけを信じれば、新しいチーズが見つかるだろうか。変化を怖がってはいけない。
 きっとだめだ。私が新しいチーズを探しにいっても、きっとスニッフのようにはできない。すぐに事態には気づけなかっただろうし、行動もできないだろう。だから、スカリーでもなかった。自分からチーズを探しにいったホーでもない。どちらかというとヘムに近いと思う。ずっとチーズ・ステーションから動けない。いや、動こうとしないのだ。変化が怖いから。自分が慣れ親しんだこの場所から動こうとしない。変化するための可能性を先延ばしにするだろう。
 今の私が言えることじゃないけど、私は変わりたい。多分、ずっと暗く険しい道のりだろうけど。新しいチーズを探しに、スニッフやスカリーのように次はできるようにしたい。誰にだって変わるチャンスはある。だから作者は最後にこれを書いたのだろう。
「チーズと一緒に前進しそれを楽しもう!」チーズは置いておけばいつかくさるだろうし、食べればなくなる。それは、当たり前のことだが、それに気がつけなかったホーとヘムはきっと選たくをまちがえた。自分達がチーズを探しに旅をしていた時の方がワクワクしてたんじゃない?本にも書いてあった。
「自分のチーズが大事であればあるほどそれにしがみつきたがる」
それはまさにホーの過去であり、ホーの意思なのだろう。だからホーはそれを書いた。そう私は思っている。
 では、どうすればホーのようにまちがわない道を選んでいけるのだろうか。ホーは勇かんだ。恐怖を乗りこえ、幸せを手に入れたのだから。どうすれば変化に気づけるのだろうか。
「新しい方向に進めば新しいチーズがみつかる」
新しい方向に進めば、私の新しいチーズと出会え、考え方や未来が変わるのではないのだろうか。そう考えると、不安なんてなくなってしまうのではないのだろうか。
「新しいチーズをみつけることができそれを楽しむことができるとわかれば人は進路を変える」
新しい道を見つけ、楽しむことができたらホー達のように変われるのではないのだろうか。そう私は思っている。だって、道がいくつあったって困りはしないだろう。大切なのは、その道をどう歩くかじゃないのだろうか。そうでしょ?ホー。
 もちろん古いチーズは永遠に新しいチーズにはもどらない。いわゆる過去と未来だろう。きっとホーは、自分がもっと早く変化に気づいていれば、ヘムも一緒に動いて一緒に新しいチーズを探しにいってくれたかもしれない、と思っているのではないのだろうか。過ぎた過去は取りもどせないし、つもるのは後悔だけ。
 ねぇホー。君はさ、泣かなかったの?自分がどれだけがんばってもチーズは見つからないとか思わなかった?ヘムだってきっと泣いてたんじゃないのだろうか。自分だって変わりたいとは思うけど、変われない自分が悔しい、とか。もしも、チーズにそんなことを変えるほどの力があったなら、悔しいなんて思わなかったら、きっと前の二人にもどるだろう。ずっと、同じ迷路の中をさまよっているのだろう。
「チーズがないままでいるより迷路に出て探したほうが安全だ」
そう書いてある。人が怖いと思っているものは、決してそれほど難しいものではない。自分ができないほど難しくない。なんにせよ、難しくしているのは自分なのだから。自分の心の中に残っている恐怖の方がきっと大きいのだから。怖いのはいやだし、嫌いだが自分を強くしてくれる。だからきっと一番怖いのは何も怖くなくなることだと私は思う。何も怖くなければ、チーズがなくなった絶望感にも気づかないだろう。
 最後に言わせてほしい。自分の人生を変えることができるのは自分だ。自分の思う正しい道を選べばいい。この手には、たくさんの味方がいる。私達のチーズは、変化の先にあり恐怖の先にある。それが私たちの選ぶ新しいチーズの無限の可能性だ。


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◎ニャーロウ賞 小八重 琴子さん(小2)

読んだ本――『コッケモーモー!』 ジュリエット・ダラス=コンテ作  アリソン・バートレット絵 たなかあきこ訳 徳間書店

【作品】
「よーく考えてみる」

 「コッケモーモー!」という絵本を読みました。なき方がわからなくなったおんどりが、「コッケモーモー!」とか「コッケガーガー!」とか、おかしななき方になってしまいます。声にだして読むと、音がおもしろくて楽しいお話です。
 だけど、自分のなき方がわからなくなるなんて、このおんどりはすごくわすれんぼうみたいです。
 …と思っていたら、わたしの頭の中で、声がしました。
  そうかな。そうかな。ほんとにそうかな。
 これは…、読書たんてい、ワンゴローの声です。この声がきこえたら、もう一回よーく考えてみないといけません。
 もしかしたら、このおんどりは、ずっとさみしかったのかも。めうしも、あひるも、ぶたも、同じしゅるいのなかまがいるけど、おんどりは一羽だけです。いつも、ほかのどうぶつたちのことばっかり考えて、なかまになりたいと思っていたら、みんなとそっくりのなき方になっちゃったのかも。
 でも、おんどりがきつねをおいはらったら、みんながほめてくれました。それからは、「コッケコッコー!」となきました。うれしくて自しんがついて、また自分らしくなけるようになったのかな。
 だから、わすれんぼうじゃなくて、なかまがほしかったおんどりなのかもしれません。
  そうかな。そうかな。ほんとにそうかな。
 うん、そうだと思うよ!

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(注:応募者の作文は原則としてそのまま掲載していますが、表記ミスと思われるものを一部修正している場合があります。――読書探偵作文コンクール事務局)

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