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2020年 中高生部門 優秀賞

◎優秀賞 和佐田 真理子さん 中1

「ザ・ランド・オブ・ストーリーズ」(全6巻) クリス・コルファー作 田内志文訳 平凡社

【作品】

 世界で一番共感できる本・世界で一番愛しい本に出会った結果(エッセイ)

 私は、声を大にして、世界中に叫びたいと思っていることがあります。そして、宣伝できるのなら、倒れるぐらい策を練って、宣伝したい本と作者がいます。文字にするだけで、声に出すだけで、顔を赤らめてしまうのですが、思い切って、文字におこしてみます。『ザ・ランド・オブ・ストーリーズ』と『クリス・コルファー』です。彼とTLOS(『ザ・ランド・オブ・ストーリーズ』の略称)は、私の心の九割を二〇二〇年現在占めています。なぜ、私が、こんなにも、TLOSとクリス・コルファーに熱中しているのかと疑問に思ったことでしょう。その答えは、TLOSにあります。TLOSは、私の中で、バイブルと化して、日常生活の中でも、常にTLOSに物事を置き換えて考えています。TLOSは、アレックスとコナーという男女の十二才の双子がおとぎ話の世界で冒険するファンタジーです。全六巻で、その間に、双子は、壮大な戦いに巻きこまれ、成長していきます。私は、初めて、本を読んだ訳ではありませんし、ファンタジーやSF、ミステリー、ラブロマンス。子ども向け以外にも、海外文学はだいたい四百冊ぐらいは読んできました。なぜ、そんな私が、この本のオタクとなり、ほぼ変態化というと、理由は五つあります。一つ目は、キャラクターたちの過去や性格です。例えば、主人公のアレックスの生真面目で、しっかり者なところ。コナーのピエロじみた面白さ。ゴルディロックスの勇かんさ。全員、ステレオタイプではない、ありきたりな人物設定、まさに、浮世離れしている個性的な人物達は、現実とうひに最適です。二つ目は、比喩です。TLOSには、クリス・コルファーのすばらしい想像力で創造されたアイテムが登場しますが、比喩もすばらしく、美しいのです。どこが、すごいのか?美しいのです。読んでいると宝石のように光輝く名文に出会えるのです。三つ目は、ストーリー性です。六巻という長期的な物語で、通常の場合心配されるのは、中だるみです。どんなドラマや映画でも、部作物は、大抵中だるみのえいきょうで人気が落ちて打ち切りになります。ですが、クリス・コルファーは違います。一巻ごと、テーマも敵も変えて、最大の目標を達成させるためのプロセスを読者をたいくつさせずに、ていねいに描いています。四つ目は、ちみつな場面設定やセリフです。完成された物語には、完成されたセリフが必要です。TLOSには、誤算がありません。あるのは、計算され尽くされたセリフと場面設定だけです。時々、引用したくなるぐらいのセリフです。作者がこって考えたというのが分かります。五つ目は、アイデアです。そもそも、スタンダードとなるアイデアは、男女の双子が、本に落ちて、おとぎ話の国で冒険するというもの。発想自体が、感涙です。その後も、『不思議の国のアリス』や『ロビンフッド』、フランス軍、作者の想像力は止まることを知りません。どの巻も外れがない。アイデア、セリフ、ストーリー性、比喩、キャラクター。この五つどれか一つでもかけたらTLOSは成り立たないかもしれません。とにかく、TLOSは、どの角度から見ても、熱中要素があるのです。そう私は、アイデア・セリフ・ストーリー性・比喩・キャラクター。つまり、TLOSそのもののすばらしさに熱中しています。こう言うとおかしいのですが、ただただ好きなんです。理由よりも、理論よりも、感情が勝つ。私は、結局のところ、この本のよさやすばらしさをさしおいて、説明できないぐらいの感情、もっと崇高なものをTLOSに感じているのかもしれません。それぐらい、TLOSは、私の中で大切なものになっているのです。

 そして、TLOSは、何回も読んでいくたびに発見があります。そこで、ずっと私に一番近い存在だと思っていたアレックスよりも共感できる人物を発見しました。その人物とは、作者のクリストファー・ポール・コルファーです。なぜ、その考えに至ったかというと、ある日気付いたのです。この物語を書いたのは、他の誰でもない作者イコールクリス・コルファーなんだと。文面からあふれでてくる文学やフェアリーテイルへの愛、生きづらさ、悲しみ、楽しい時のしゅんかん、比喩、アレックスやコナー、エズミア、フェアリーゴッドマザー、アザーワールドすべては、彼が創ったものなんだ。その事実に気づかなかったおろかな自分をあざけり笑いたくなる程むなしい気持ちになりました。まず第一に、生きづらさ。彼の作品には、社会的に孤立した人物が沢山登場します。学校でいじめられるアレックス、行方不明で社会から身を隠すチャーリー、優秀さのあまりうとまれたエズミア。私の気持ちを代弁してくれる彼の物語は、息をするのがつらい時手をいつでも差し伸ばしてくれました。第二に、弱さ。弱さを乗りこえて強くなる者、乗りこえられずに、「悪」となる者。人間が、こくふくしなければならない「生きづらさ」や「弱さ」は、時に美しく、時にみにくく描かれます。一人で、「生きづらさ」や「弱さ」を乗りこえることができない時は、私は、TLOSや、私の気持ちを代弁してくれたクリス・コルファーを思い出しています。また、クリス・コルファーは、「悪」や「光」、「正義」のあり方について価値観をゆるがしました。悪役でも、「なぜ」そうなったのかがくわしくえがかれるTLOSにはそれぞれ訳がありました。一巻で登場するヴィランズの悪の女王(白雪姫のまま母)は、エヴリィという名前があったこと、愛した男のために悪になりました。二巻のヴィランズは、エズミアという魔女で、ずっとTLOSでは「善」とされていた妖精達がいじめ、人格形成に歪みが生まれてしまいました。三巻の悪役はジャック・マルキ将軍で、貧しい少年時代が、権力欲への歪みへと導いてしまいました。四・五巻のヴィランズは、仮面の男で、権力欲を持つことを母親に知られてしまい、魔力をとられてしまったのです。六巻のヴィランズは、モリーナという魔女で、チャーリーと別れてから、悲しみのあまり世界支配を考えるようになってしまいました。この物語では、「善」が悪へと無意識のうちにみちびいてしまっているケースが二つあります。一つ目は、エズミアで、絶対的善の妖精にいじめられ、深い心の傷を負ってしまい、「悪」の道に進んでしまいます。二つ目は、仮面の男で、母親に、魔力を抜かれ、「悪」に行き至ってしまいます。仮説として、仮面の男は、「世界をほろぼす」大志を持っていたから母親に、魔力を抜かれてしまいました。ですが、その必要は感じられません。そして、ハジェッタという魔女は、魔女というだけで、「悪」とみなされ、つらい思いをしてきています。このように、ほとんどの児童文学が勧善懲悪なのですが、TLOSは、悪や善、正義が人によって違うことを教えてくれます。まったく違う世界観を、ステレオタイプ(勧善懲悪)が総ての児童文学にとり入れたクリス・コルファーはすばらしい一言で表すならそう思います。すべてが、正義じゃない。悪は、善でもある。このような価値観を提示し、世界観を広げてくれた。そんなクリス・コルファーとTLOSにこれからも助けを求めながら、読んでいきたいそう思いました。

 私は、TLOSとクリス・コルファーによって、信じられないぐらい愛しいものと、大切なものを手に入れました。世界観や価値観を変え、人間として成長することもできました。私の決心としては、クリス・コルファーのように、クリエイティビティを持って、本を書いて、世界中の子ども達の心の支えにしたいと思いました。また、翻訳者の方や編集者の方がいらっしゃらなければ、私の元にTLOSが届くこともなかったと思うので、本に関する仕事に就いてみたいと思いました。そして、TLOSに出会ったことで、クリス・コルファーのツイッターやインスタ、インタビューを見ることが多くなって、英語に関する意欲が高まって、原書もこう入して、自分で少しずつ翻訳しています。英語もクリス・コルファーのインタビューを字まくなしで見たいがために、人一倍努力して、少し先のカリキュラムまで勉強しています。一冊の翻訳本によって、人生が変わったので、もっと、TLOSについて、皆に理解を深めてもらいたいと思います。世界で一番共感できる本・世界で一番愛しい本に出会った結果は、私の場合、TLOSという本を開けば会える協力者とクリス・コルファーという理解者を得ることができたのです。                                      <完>

◎優秀賞 長谷川 彩華さん 高2


『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』 ヴィエト・タン・ウェン編 山田文訳 ポプラ社

【作品】
 安全を求めた先で

 様々な理由で、様々な国から安全な国へ逃げている難民たち。
 わたしは以前からそのことについて調べており、逃げてきた難民の国ではどのようなことが起きていて、どのように逃げてきたのかということについて知っていくうちに、難民は安全な国へ入れた後、どのような暮らしを送っているのかについて興味がわいた。
 そこで、アメリカへ渡った難民による体験談が書かれた作品『ザ・ディスプレイスト 難民作家十八人の自分と家族の物語』を読むことにした。
 アメリカは、トランプの壁などの問題があるものの、庇護申請者が他の国に比べてとても多く、UNHCRによると、一九七五年からの統計で、今まで三十万人以上もの難民を受け入れてきた。それだけ多くの元難民がいるのならば、様々な背景を持つ人も多いに違いないと思いつつ、本を読み始めた。

 アフガニスタン出身のジョセフ・アザムさんは生まれた時、祖父に「ムハンマド・ユースフ・アザム」という、色々な意味が込められた名前を付けられた。その後、数か月のうちに、ソヴィエトの占領により、アフガニスタンは一般市民が襲撃をうけ、町が破壊されていく国となった。
 彼の両親の家族は、アフガニスタンで政治活動に携わっており、刑務所で過ごしている親戚もたくさんいたため、彼の家族は狙われやすく、他国へ逃げることにした。
 インド、ドイツを経て、アメリカのニューヨーク州へたどり着き、亡命申請をした後、ニューヨークで暮らした。
 彼の母は、ビューティー・スパで掃除や施術をする人として雇われ、彼の父は売店で新聞を売る仕事に就き、自分たちの店を開くためにお金を貯めた。たまったお金で、商売を始め、最終的には、エンパイア・ステート・ビルの陰に店を構えた。
 彼が学校に通う頃には、いい暮らしを求めてやってきた同じような家族が周りに多く住んでいたので、その子供たちと一緒に学校ヘ行った。
 しかし、学校に来るのはそういった子供たちだけではないため、他の白人の子供たちよりも、彼らは人目を引く存在となった。さらに、彼らの身分証明書には「外国人居住者」という記名がされており、アウトサイダーだと感じずにいたことはないと語っている。
 彼らは、アメリカ人にはあまりない、独特な名前を持っているため、それを気にしていた。学校では「マイケル」や、「ジェシカ」など、アメリカ人の名前を仮名で呼んでほしいという人もいたが、彼は祖父からもらった名前を捨てたくなかったため、「ジョセフ」という名前に響きが似ている自分の「ユースフ」というミドルネームで呼んでほしいと先生に言った。
 しかし、家族でカリフォルニア州に引っ越した時、彼の父は彼の名を、高校に「ジョセフ・アザム」という名前で登録した。彼は自分の名前が変えられたことで、今までの自分がなくなってしまったように感じ、自分が偽物であるのではないかさえ思うようになり、彼が十八歳の時、市民権獲得手続きの際に、名前を「ジョセフ・ムハンマド・ユースフ・アザム」にするまで苦しんだ。

 ベトナムからアメリカへ渡ったティ・ブイさんは、自身の体験を体験談という形ではなく、イラストで表現している。
 「そして何を失う?」という文字が書かれたページに、一人の女性をとり囲むような形で、ガラスの破片のようなものが描かれていて、破片には、家族、友人、ルーツ、ことば、生活様式、仕事、文化の感覚、地元での暮らしのノウハウ、故郷、と記されていた。

 また、レイナ・グランデさんは、メキシコでとても貧しい暮らしをしていたために、アメリカとの国境を家族で越えて、不法移民としてアメリカで暮らした。不法移民ということは、日々、強制送還に怯えながら生活していかなければならなかった。
 父は、彼女がまだ物心ついていなかった時、アメリカヘ移り住むための準備をするために、数年間いなかった。だから、彼女は父のことを全く知らず、アメリカへ来た後も感情や心に壁を感じ、さらに彼女がアメリカに同化したり、英語を学んだりするとまた、言葉が壁になり、さらには教育が、彼女と、小学校までしか行っていない父と母との距離を広げていった。
 その教育によって、学校では彼女にトラウマが与えられた。英語を話せなかった彼女は、教室の端に席を追いやられ、先生からも生徒からもいないのと同じように扱われた。さらに、図書館においてある本の内容は、彼女が経験して共感できるというものが少なく、彼女は自分が目に見えない存在なのではないかと感じていた。
 彼女は、家族との壁や、こういった他から見捨てられたような感覚によって、彼女自身の居場所を見つけることが難しかった。だが、最終的に永住権が認められ、今幸せな生活を送っている彼女は、自分を幸運だと思えるようになっているのだという。

 戦争から逃れるために、イランからアメリカへ渡った、ポロチスタ・カークプールさんは、アメリカで、とても貧しい暮らしをしていた。
 彼女は、貧しいからか、イラン出身だからか、いろいろな人、特に先生からいじめを受けていた。
 幼稚園の時に、「ご飯を食べる前におやつを食べてはいけない」というルールを破って、それを注意してもやめない女の子のことを先生に言うと、「この密告者が」と言われた。
 小学生の時には、臨時教師に、「僕のイランの恋人」というあだ名をつけられた。彼女はアメリカ人がイラン人を嫌っていることを知っていたから、本当にやめてほしいと思っていた。さらに、その先生は、彼女が舌を出していたら、彼女の口の中に親指を入れてきた。彼女は意味が分からず、変だと思った。
 学年が上がるにつれてそういうことはなくなったが、大人になってから、彼女はある悪夢を見る。九、一一が起きた時、「アメリカが安全だ」と思っていたのは間違いだと知り、それがきっかけで、イランの悪夢を思い出してしまったからだ。
 その悪夢は、黒い服を着たテロリストが、銃と三刀を持って彼女を人質にする、という夢だった。

 イランからアメリカへ渡った、ディナ・ナイェリーさんは、アメリカヘ渡る前にロンドンへ行き、学校へ通っていた。通い始めた最初はみんな遊んでくれて、英語も教えてくれていたが、数日経つと、その子供たちの親が何かを言ったのか、待ち伏せされてお腹を殴られたり、指をドアで挟んで切断されて病院で縫ってもらわなければならなかったりと、いじめを受けるようになった。
 その後、その学校には行かず、イランヘ少し戻った後、彼女が十歳の時にアメリカのオクラホマ州へ移り住み、新しい学校へ行った。多少の人種差別はあるだろうと思っていた彼女だが、みんなが、中国人などのアジア人ヘの侮蔑用語である「チン・チョン語」で侮辱をしてきた。彼女は、彼らは世界のことを全く知らないと思った。
 ある日、彼女は先生に、「ここに来られてとても感謝していることでしょうね」と言われ、その「感謝」というものを態度で示さないと、ここで手に入れたものを全て失ってしまうと思った。
 彼女の母もつらい経験をしていた。イランにいた時、医者をしていたが、アメリカでは製薬会社の工場に勤めた。しかし、考えを言葉に、英語にするのに時間がかかったため、彼女の四分の一しか勉強していない上司に、「頭が悪い」と言われ、誰かが失敗すると彼女のせいにされた。
 ディナは、アメリカ人は、彼女のような移民からの感謝の気持ちがほしいのだと思った。彼女の体験談を聞くふりをして、本当はどんなところに感謝しているのか知りたいだけだ、と気付いた。

 難民とは、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた人々」と、一九五一年の「難民の地位に関する条約」で制定されている。
 アメリカに移り住んだ人々の環境は、以前より格段に上がっていることは確実であり、「命を狙われてしまう」と怯える必要は少なくなった。だが、命を狙われることとは違った形で怯えなければならなくなってしまった人が、少なくない。
 彼らは、まったく未知の世界で生活している。自国やアメリカでの生活で感じたこと、経済状況や肌の色、出身地や移住してよかった・悪かったと感じ方などは人それぞれだが、共通して「よそ者」と感じていた。
 当然のことだと思うかもしれないが、「この人は○○国出身だから近づいちゃだめよ」と親に言われているアメリ人の子どもや、そう思っている先生によって、意図的に避けられていたのだ。
 結論からいうと、彼らは差別され、怯えている。彼らの体験談では、アメリカに移住してから暴力を受けている、ということは書かれていなかったが、メンタルでの傷は大いに受けている、という内容が記されていた。
 それは、誰かに何か嫌なことを言われた場合だけではない。彼らの肌の色、身振りや文化がアメリカ人と違うから、と気にしてしまうことで、ストレスを受けていることもある。
 ジョセフさんは、文化の違いによる名前を気にしていた。わたしは、彼が自分の名前に怯えていたのではないか、と思っている。つまり、祖父から名付けられた、という大事なルーツや故郷、文化の感覚を失うことに怯えていたのではないか。
 レイナ・グランデさんはまず、学校で学ぶことによって両親との壁ができ、学んでいくうちに、どんどんその壁が頑丈になっていった。それは彼女の両親が小学校までしか行っていなかった、という貧困環境によってつくられている。彼女が教育を受けられたということは、環境がとても改善された、ということが断言できる。しかし、それと同時にその教育が、学校の中で彼女を見えない存在にし、彼女にとっての拷問の時間を与えた。彼女は、英語を学んだことで、家族とことばを失った。
 ポロチスタさんは、先生からいじめを受け、苦しんでいた。先生という立場の人間は、たとえ貧しい移民であっても、高級住宅街に住んでいるアメリカ人であっても、平等に扱わなければいけない。扱うベきである。特に、過去にトラウマを持つ難民に対しては、注意深くケアをしていかなければいけない。
 ディナさんは、他のクラスメートに侮辱されているのにもかかわらず、先生に、「ここに来られてとても感謝していることでしょうね」と言われていた。難民へのケア、というのはしないのが普通なのだろうか、という疑問さえわく。そしてディナさんの母は、あまり英語ができないという理由で差別を受け、会社で誰かが失敗したら、彼女のせいにされた。
 では、どうしたら、難民としてアメリカに移住した元難民・移民に対する差別が改善されるのだろうか。
 解決するためには、難民でない、受け入れる側の人々が紛争などについての正しい知識を学び、それぞれの難民に対しての理解を深め、徐々に、元難民を安全な自分たちの国ヘ受け入れていくことが大切である。
 わたしたち日本人は、先進国といわれる日本で身を危険にさらされることなく、安全に暮らしている。だからこそ、もっとこの国へ難民を受け入れる責務があるのではないか、とわたしは考える。
 しかし、日本と難民、というと、法務省のサイト(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri03_00139.htm)によれば、平成三十年の難民申請者は一万四百九十三人で、そのうち難民認定を受けた人々は四十二人と、他の難民を受け入れている国と比べてとても少なく、書籍や情報も少ない。
 日本はこれから、少子高齢化により働き手がどんどんいなくなっていく。だから、わたしたちともに生きる覚悟をもち自国を離れた難民を、排除する前にいま一度、わたしたちとともに歩む働き手としても、再考していく必要があるのではないだろうか。
 日本の社会に難民が増える時までに、先ほども述べた通り、彼らによりそい、過去のトラウマから救い出す手助けができるよう、これからわたしたちは、正しい紛争や難民についての知識を学び続けていかなければならない。


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(注:応募者の作文は原則としてそのまま掲載していますが、表記ミスと思われるものを一部修正している場合があります。――読書探偵作文コンクール事務局)

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