寛容のパラドクスを学ぶ。ー寛容にせんといかんようー

え、急に何言っているのこの人怖い。


「寛容を押し付けているようだ」と感想をいただいた。
 そのようなことはまったくもって無自覚だったので、悩むことになった。

 寛容とは美徳である。
 自分にとって寛容さを高めるというのは、RPGのレベル上げに近い。如何に許せるものを増やすか。増やせば増やすだけいろんなものに触れられる。
 というよりも、寛容にならなければ前に進めないドツボにハマり無理やりレベルを上げた感はある。以上 自分語り

 なので、不寛容であり続けようという努力がよくわらからないので、その押しつけがましい部分というのがよくわからないのだろう。
 寛容な時にはできない、けれど、不寛容でならできることがある……と思えないのです。

 今回の件で”界隈化”している世界を覗き、自分の知っている言葉と定義が違うのではないか、という気がしている。

不寛容
[名・形動]心がせまく、人の言動を受け入れないこと。他の罪や欠点などをきびしくとがめだてすること。また、そのさま。「不寛容な人間関係」
                           コトバンクより
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%AF%9B%E5%AE%B9-669304

 私の知る、不寛容は上記の通りです。

「寛容のパラドクス」勉強中……
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
ポパー先生 勉強中......(ウィキペディアで済ますな)(はい、すいません

哲学者カール・ポパーは、1945年に『開かれた社会とその敵』第1巻(第7章、注4)においてこのパラドックスを定義した[1]。

寛容のパラドックス」についてはあまり知られていない。
 無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。――この定式において、私は例えば、不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、などと言うことをほのめかしているわけではない。我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、抑制することは確かに賢明ではないだろう。しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。ゆえに我々は主張しないといけない。寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を

           ウィキペディア 寛容のパラドクス 頁 より引用
           強調は編集にて追加

自分の理解の確認の為の要約:
寛容が100%にしようとすれば寛容は滅ぶ。なぜなら、反対する不寛容の言葉を寛容に飲み続けないといけない(守る覚悟がない)からだ。そして不寛容にボコボコにされる。
 だから、ボコボコにしてくるような人達をつぶせ、とは言ってるわけではない。理性的な議論で対抗し、それを世論がチェックできている間はつぶすのはよくないだろう。

 けれど、イザというときには不寛容の人をボコる権利を我々は要求するべきだ。彼等が人の話を聞かずに何を言っても「ダメ」を出し、「アイツは悪い奴だから話を聞くな」と自分の仲間に聞くことを禁止させるかもしれない。話し合いを無視して、殴ったり、銃を使うかもしれない。もう、そうなったらどうしようもないので、許す必要はない 

"CAST IN THE NAME OF TOLERANCE , YE NOT GUILTY."
ビッグオー、イッツ・ショォォォタァァァイム!(交渉」
https://nico.ms/sm34670535

 つまりは……どう弁解しても、不寛容はろくでもない という価値観が世界共通ですよ......だんなぁ。

  今回の件に、私の立場で当てはめてみる。

寛容=ばあちゃる氏(アップランド社)
  (いやー、その気持ちもわかるんスよ……でもねぇ)
不寛容=反対派
  (もっと部内コラボを! XXはイベントに呼ぶな!)

寛容の強要=「やっぱ、そういうのは許せないんスねぇ」
反対派の反撃=「謝罪要求」
寛容側が寛容に対処=「謝罪文提出」
対処への批判=「アレが足りない、もっと謝れ、言うこと聞け」
   現在ボコボコ継続中、ポパー先生曰く「寛容、滅ぶよ

         キュルキュルキュル 時は遡り

反対派は潰さない=「不満は、マシュマロかばあちゃる君へ」
理性的な議論=「こんなイベントいいな。部内コラボしてほしい」
世論のチェック=($部ファン盛り上がってんなー)

反対派は潰さない=「いっぱいマシュマロ来てますねはいはい」
理性的でない議論=「XXとコラボするなら部内が先だろ!!」
世論のチェック=($部ファン感じ悪いな……知らね(晒し上げ))

話し合いを無視して殴ったり
「反応ねー。しらねー。次のコラボ相手XX!! ありえない」 ゴッ

Goto 「寛容の強要」へ ↑

 もちろん別の立場の人は入れ替わって見えてると思う。
 コミュニケーション不足も一因だとは思うが、それで解決したかはわからない。「人材不足が原因だ」という声があったが改善として、最近「メンテちゃん」が増えたと感じる。ただ雇ってから育てるまで手が必要なので全体の生産性は下がるので、半年ぐらいは踏ん張りどころ。
 尚、人を雇うと給料から保険やらなんやらまとめて一人年間、1千万円必要と換算する。歩合だろうが部員にメリーさんで13人も一気に人を増やした中小企業にメンテちゃんが増えて、さらに増やせと要求するのは酷だと思う。金と玉コラボ動画の編集もキツい状態でもある……なんて、ばあちゃる氏が説明したらこの流れは違ったのだろうか。(はいはいはい、お金の心配とかしなくていいですからねはいはい って言ってたの聞いた覚えがある。ごめんなさい)
 う~ん、あのイベントはいらなかったとかでるかな。(ウビバナイトのお姉さんノルマはなんなんだろう)
 なんにせよ、人を言葉で殴ったりして良い理由なんてないですがね

そこまで燃やすつもりはなかったんだ(その前の言葉。皆で気を付けよう)
https://www.google.com/search?biw=1920&bih=979&tbm=isch&sa=1&ei=k2lyXfmrC6-0mAXY9IDQDA&q=%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E7%87%83%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8A%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%A0


ん?

「ホモフィリー」と不寛容の関係性
 「ホモフィリー」(訳注:同じ趣味や価値観で繋がっている集団のこと。以下、日本語で解りやすく「友達グループ[要出典]」と訳す)と不寛容との関係性は、とある友達グループの中の寛容な人が、他のグループの寛容なメンバーとの良好な関係を結ぶか、あるいは今の自分がいる友達グループの不寛容なメンバーとの良好な関係を維持するか、どちらを選ぶかのジレンマに直面した時、はっきりと現れる。
 前者を選んだ場合、今の自分がいる友達グループの中の不寛容なメンバーが、自分と他のグループのメンバーとの良好な関係を許さず、結果として、自分と他の友達グループの寛容な同志との間に消極的な関係を必然的に招く。後者を選んだ場合、他のグループの個人に対して消極的な関係を取ることを選んだということは、今の自分がいる友達グループの中の不寛容なメンバーによって支持され、結果として、今の自分がいる友達グループ内の良好な関係を促進することになる。

           ウィキペディア 寛容のパラドクス 頁 より引用
           強調は編集にて追加

まんまこれじゃねーか!!
……なるほど、あのお二方はこれに導いてくれていたのか。老子達よ。

 なら、「不寛容なメンバーと良好な関係を選べば?」と思うが、そうなると鎖国化が進む。客の満足度はあがるけれど、パイが広がる速度が間に合わない、そうなるとマネタイズの為にグッズの更なる高額化、現状でも出てる値段の問題が。第二期、第三期と続けるならどこかで限界がでると、やることもマンネリ化してしまうし、そしてそのうち出てくる、「もっと外部とコラボしろ!!」っていう反対派の人。


 うーん、寛容な人と不寛容な人をそれぞれ100人ずつ箱に閉じ込める話とかして、昨日のとは外れた話をしようとしていたはずなのに。どうして……どうして……

 今回の騒動は、そもそも、ここに至るまでの流れは、人間が群れると発生する普遍的な物である。ということがわかりました。ロジャー・スミスを探さないと。
 
以上、勉強になりました。
切っ掛けをいただきました両名、ありがとうございました。

ではでは。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?