トリガー

人は社会的動物である。
社会のなかでしか生きられない。逃れようがない。
だから社会の枠のなかで、社会の事象と向き合って存在するのは当り前なわけだ。
もがいて、よろこんで、かなしんで、あまったれて、たすけられて、、、
それでいいではないか。
そこを突き抜けて形而上にのぼって思索するなんぞ、なんの意味があるものか。
そんなもの、一人でニヤけて思索してればいい。
さもなければ同類の他者とああでもこうでもない、とじゃれ合っていればいい。
社会のなかでもがいている人を巻き込んでどうする。

ん? 意味なんてあるものか? 
ただ少し意味があるとするなら、社会を上から目線で俯瞰できること。
社会のなかにいたのでは見えないことを見ようとすること。
存在の不思議をじっくり味わうこと
社会のなかの成功、失敗、正解、間違いといわれることを微笑みながら見下すこと。

社会のなかでの「正解」、、だから何、あはははは?
たいした問題ではない、、、とは、、、ならない。
だって、やはり人間は社会的動物なんだもの。
でもね、俯瞰できれば、少しは開き直ることができる。
もう少し頑張れば達観できるかもしれない。
それは素敵なこと。
もしかしたら、社会のなかで「正解」している間は、
社会のなかで「成功」しているあいだは、
行きつけない見地なのかもしれない。
もがき苦しんでいる人にしか、解らないこともある。
真理に近いのは君だ。

そこへ向うトリガーは自分でしか引けない。
今、君がそのトリガーを自ら弾こうとするなら、ワタシは祝福したい。





なんてね、言葉は恐ろしいなぁ、sigh
軽い気持ちの言葉が、、、、、。
結構、責任を感じてしまう。
でも、ちょっとまて、ワタシはそれほどの奴か?
ワタシの言葉はそれほど重いか?
それは自意識過剰だろ。
偉そうすぎる。
そんな力あるわけがない。
たまたま、ほんの少しきっかけになっただけ。
踏み出したのは、彼、自らの意志だ。
遅かれ早かれ、彼は、一歩前進しようとしたに違いない。
そう信じよう。ふぅ、、、


追記

彼とのやりとりでワタシもまた思索したい気持ちが復活してきた。

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