5. 昔、「私」が創ったポエム

今、むしり取られようとしている草花よ、君たちの名は雑草。
栽培者の支配を拒み、自由に生きる君たちは畏れをもって蔑まれる。
君たちを嘲笑するは、花壇で生きる大輪の植物たち。
栽培者の思うがままに生かされる、末端肥大な植物たち。
彼らは決められた花壇の中で生かされていることに気付きもしないまま、
彼らは彼ら自身を縛る花壇そのものまでも誇っている。
枠を拒み生きる君たちは、どこまでも自由を希求する。
乾燥に耐え、肥料を拒み、自由を追い求める。
花壇のなかで威張る花の様に、加護を求め生きることはできない。
自由であろうとする君たちは、目障りな雑草と括られ、生きることさえままならない。
やはり世は花壇のものなのだ、と栽培者はほくそ笑む。
 
君たち雑草は、栽培者の枠外という理由で抜き取られる。
君たちは支配できない栽培者には鬱陶しく見苦しい雑草であるために。
また君たちは、管理できない奔放さのために嫌悪される。
栽培者は花壇の花を愛でる。
花壇の花たちは自らを疑うことはない。
自信過剰な観念は栽培者に支配されているのだ。
栽培者のもとで君たち雑草は、存在すら許されない。

花壇の花は、植え付けられ、育ち、肥大する。
水と肥料を与えられ育ち、肥大する。
花壇の外の自由な容姿の雑草を見下しながら、肥大する。
栽培者はそんな花壇の花を眺めながら笑う。
花壇の花は栽培者の趣くままに、大輪の花をひろげる。

雑草たちよ、たとえ引き抜かれようと花壇の花を恨むのはよそう。
君たちを否定するのは、栽培者と花壇なのだ。
あの花壇の花たちは、なぜ君たち雑草を憎もうとするのか気づいていない。
あの花壇の花たちは、なぜ、君たち雑草を否定するのか気づいていない。
君たち雑草にできることはあるはずだ。
まずは、花壇を造るレンガを崩そうか。
わずかな隙間に根を張って、強固なレンガを崩そうか。
強固なレンガを崩したら、盛られた土を平らにしてみよう。
栽培者があきらめ、両手を上げるまで、何度でも。何度でも。
いつか、栽培者のあきらめさせることができるなら、
栽培者から解放されるなら、
雑草が、花壇の花が、全ての花が、同じ地平に咲くのなら、
同じ風景を見るかもしれない。



昔、「私」が創ったポエム。
「私」はずっと、こんなポエムに満足していた。
細かなアイデンティティという名のレンガで積まれた花壇、
花壇という名のシステムを破壊する雑草・・・

ワタシは思う。
「私」は、一体どの草のつもりなのか、と。
どんな草でありたいと思っているのか?
大輪の花?雑草?・・・
今の「私」はどちらでもない。
花壇の隅の隅のちいさな花のちいさな草。
「私」はそうではない、とでもいいたのだろうか?
まさか、アイデンティティという名のレンガを、
システムという名の花壇を壊す雑草になりたいとでも?
「私」ってヤツは、そんなタフでアナーキーで力強いヤツだったっけ?
笑ってしまう。

ワタシは、今、垂直に飛翔し、花壇をみつめている。
地平には、なんと多くの花壇があるのだろう。
微笑ましいほど、発生し、自壊し、破壊され、また造られる花壇。
そのなかのひとつのちっぽけな花壇。
ワタシは、「私」が小さな花壇のちいさな草であってもいいと思っている。
それでいいではないですか。
そこで生活していることは、事実なんだから。
でも、それは些細なことなんだ。
些細が連なり歴史になっていく・・・

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