7.「お金」のイメージ

それは紙、あるいは金属片もしくは記号+α
+αは、社会のお約束によって共通理解している共同幻想のはず。
でも、その共通理解は忘れ去られているか、確認されていない。
つまり共同幻想でもなくなっているかも、、、

今の「私」の理解での+αは、、、、
この世的な社会のなかで、「物」や「行為」あるいは「情報」や「感情(歓喜)の素」等の必要性、価値性を量る、測定器もしくは測定値。
その価値を交換か授受する「媒体」。つまりは交換もしくは授受可能なものに限り用をなす「媒体」。
つまり、「媒体」そのものは「手段」であり「目的」になり得ない・・・この共通理解がされているかどうか不明。
この「媒体」は所有することができ、所有量が多いと「価値」を多く所有することが可能・・・だが、実際に「価値」と交換するかどうかは別。所有しうる「価値」以上の「媒体」が専有されることも多い。
「価値」そのものは個々によって異なるのだが、相場によって一程度の測定値が決定される。
ときに測定数値が高いから価値がある、、というアベコベの観念に利用されたり支配される。
おおむね、「手段」の簡素化が図られ、合理的であり、便利なもの。

今のワタシの感情の+αは、、、、、
「価値」とは、可能であれば、+αなしで授受し共有したい。
しかしながら、生活できていてこそ「価値」を生み出すことも可能。
その価値を生み出す条件として「生活」を支援する「媒体」として理解されればよし。生活ができているうえでの「価値」は+αなしで授受し共有したいし、実際にされている。

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