4.「私」は平和を望む


「私」は平和を望む。
だから、戦争に反対する。
もちろんテロリズムにも反対である。
そこに例外はなく、空爆も許せない。
そんな状況を利用しているヤツも同罪だ。
イスラム国のテロというやり方が嫌いだ。
力任せの空爆をおこなう大統領を殴ってやりたい。
一番みじかな糞野郎、、、
実感のないアホ首相には殺意を感じる。
なんといっても「私」は!! 
平和を熱望する正義の味方なんだものぉお!!!

ワタシはそんな「私」を呆れてみている。
まるでテロリストをみるように。
そうでなければ、大統領か首相をみるように。
哀しい眼で「私」をみつめる。

ワタシは想う、、、、

平和、、、それは何?
人々がみな、穏やかに、慎ましく、貧しく、苦労して
それでも笑顔で暮らしている風景。
他者のことを思い、他者を尊重して、力を合わせて、
争うことなく、戦争も人殺しもない世界。
そんな風景がつづけば
そんな風景しかなければ、、、、
平和という言葉も観念もなくなる。
戦争という言葉があり、はじめて存在する言葉。
平和という言葉がある限り、戦争もまたある。
平和を望んでいるあいだは平和ではない。
平和とはそんなことなんだよなぁ、、、
でも人類の歴史のなかで一度も続いたことのない風景。
まさか、平和という言葉を確認するために、
戦争をしているわけでもあるまいに。
いつまでも、いつまでも
繰り返して、、いる。


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