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「魂」の定着

さて「鋼の錬金術師」である。アニメである。
「是非」といわれたので見始めた。
長い!! 長過ぎる!! 見始めて1ヶ月も経つのに見終わらない。4クール分ある。しかもセカンドシーズンもあるような雰囲気で、、、おまけにその紹介者はその後も次から次へと「是非」といろいろなものを紹介し続ける、だから焦るし困惑するし嫉妬するしetc、、、、なんちてね、テヘペロ。

なんの話だっけ?そうそう、鋼の錬金術師だ。未鑑賞の方にも解るよう1センテンスで内容を。

身体を喪失した「魂」を「鎧」に定着させた結果、意識を持ち、感情をもち、意志を持ち、記憶ももつのだけど、元の人間の身体にふたたび魂を「定着」させたい、と頑張っちゃう物語。

まず初っ端に「魂が鎧に定着」する、から始まるのだが、そこに「なんじゃこりゃ!!」などと松田優作ばりにツッコむこともなく違和感をもたなかったワタシがいることを知った。
これにはロマンチックな唯物論者を自称していたころから随分変わったもんじゃのう、と感嘆し、啄木ちゃんよろしくジッと手を見るのだが、にぎった手は中指をたててから、間違えたとばかりに慌てて親指を立て直す始末。
それにしてもアニメのなかで「魂が定着した鎧の身体」が意志にしたがって動いたり、聞こえたり、喋ったり、笑ったりするのには違和感があったのだけど、そこはアニメとかるーく許容したわけだな。ご都合主義はマイポリシーと共通である。
で、少し考えてみるのだが、「魂の定着」に違和感をもたないところをみると、「定着」してない魂は「浮遊」か「遊泳」か「鎮座」etcしているのか、という疑問が湧くのだが、まあそんなものかもしれないとあまりとりあっていない。だって感知できないし、解らないんだもの。でもそんなもんだろうとも思ったりする。

そも「魂」とはなんぞや、ということも確認しておいたほうがいいかな?
定着してない鎧がただの鉄の造形ならば、定着した後の鎧は、意志にしたがい動く、考え、感情をもち、、、そうした定着後に派生するものが「魂」でいいだろう。
人間は身体に魂が定着して、身体の成長にあわせて魂のインプット・アウトプット(表現)ができるようになる。もちろんインプット・アウトプットのみでなくその間のミキシング、シンキング、醸造とかもね。成長度合いによってイン・アウト・ミキシング・シンキングetcが違うってのも納得。
そうそうアウトプットしたものに「魂がこもる」って表現は言い得てるなぁ、とあらためて感じるねぇ。うんうん。鎮座している魂があるんだろうってね。そうした表現がピタっとくるときワタシたちが認知している身体の能力以上の感知が発動されているに違いない。

ところで、魂は人間の身体以外には魂が定着しないかといえば、それは人間が感知できないだけで、定着している(かもしれない)。
まあ、アイヌなんかは万物に魂が定着してるという信仰をもっているようで、ワタシがもっていない(と感じている)万物からのアウトプットを感知できる何かを持っているのだろう。自分にないものを否定するほど未成熟じゃないぞ。
ただ普通はアイヌのように、人間以外の魂がアウトプットをしていないだろ、とは考えるのは早計で、耳をすませば感知できたりすることを「この◯◯には魂が宿っている」なんて表現しちゃったりする。そんな言葉があることをみると、ある程度、だれもが魂の定着を知っているのかもしれないな。さっきの「魂が篭った」とかこの「魂が宿る」とか他にも「魂」にかかわる言葉はけっこうある。

ほんに感じるのは、これだけの万物のなかで人間の身体に定着できたことはラッキーだなぁ、ということ。
偶然にしちゃ上出来だ。
この偶然の定着を楽しまない手はない。
いつまでも定着してるわけじゃない。
身体には限界がありいつか魂は離脱する。
その後の魂はどうなるかは知らない。
ただ、今は人間として身体に定着している。
期限つきの定着は「波乱」に満ちてなかなかたのしいぞ。
間違えてはいけないのは定着していることが前提ではない。定着していることが前提だと考えてしまうと波乱が辛く哀しいことになってしまうことだ。
偶然定着した奇跡が前提でいこう。
インプットもアウトプットも楽しめばいいではないか。
楽しむと「魂」は他の「魂」と呼応する。
これがまた楽しい。

しかしなぁ、魂が定着している状態、つまり「生きている」を楽しもう、、では、あまりにあたりまえで普通の結論だなぁ。だからupする気が失せるんだよなぁ。
もっと人々をアッと言わせるような奇抜なアイデアをアウトプットしたいのになぁ、とこの魂はつぶやいているのだが、まだその域にまで身体が成長していないんだよな。
まあいいか、この成長度合いはそれなりに楽しいと感じるのだから。
ちゅうか、今、この魂がこの身体に定着していることそのことがアッと驚くことなんだ。
ついつい忘れがちのこのことを何度でも確認したところだ。

そも、なぜなんのために魂は定着するのか、とか、もとより魂の存在とはなんぞねん、という哲学的疑問はあるのだけど、まあいいではないか。とりあえず僥倖をたのしもう。

さて、アニメの最後はどうなるのか、もう少しだ、見きってしまうとするか・・・(笑)

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