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100日後脱出するゴーン 1日目

あ、と思ったら水たまりに片足を突っ込んでいたゴーン。泥水で汚れた作業服のズボンを近くに置いておいた油じみた雑巾で乱暴に拭く。
「社長ォ、積み終わりました」やべっさんが社長に声をかける。
「おう、しっかり固定したか」と言いながらゴーンは軽トラの荷台に積まれた冷蔵庫の固定ベルトを一本一本調べる。
「ラーメン屋でしたっけ、こいつ届けるの」
「うん」
「他のやつらどうします?」
「ああっと、次の納品はまだ先だから帰しちゃっていいよ」
「うす。おーい、みんな今日は終いだ。帰っていいぞお!」
うーす、と従業員が口々にいい、後かたずけをし始める
ゴーンはやべっさんのように大声を出すことができない。「カルロス冷蔵発動」を引き継いでもう30年以上たつのに、いまだに先代社長の息子、という引け目が彼を縛っているからだ。
「じゃ、社長いきましょうか」やべっさんが助手席に座り、シートベルトを締めた。
ゴーンがキーを回すと軽トラは喘息のようなエンジン音をたてて動き出す。こいつもそろそろ買い替えなけりゃな、とゴーンは思う。それと同時に二人の子供の進学費用が頭によぎり、ゴーンはため息をつく。夕日がゴーンとやべっさんの顔を柿色に染めている。やべっさんが胸ポケットからサングラスをかけてゴーンの方をむき、にやりと笑う。ゴーンの顔がミラーシェイドのサングラスに映る。両目に私の顔がはめ込まれたみたいだな、とゴーンは思う。荷台の冷蔵庫は静かに、道路の凸凹に合わせて揺れている。

納品先のラーメン屋に着いたのは、午後7時を過ぎていた。
「蓬莱軒」と書かれた看板が、中の蛍光灯が切れかかっているのだろう、ちかちかと明滅していた。客はいない。入口のドアに「冷蔵庫故障のためしばらく休業」と張り紙がしてあった。
「さあて、運びますかあ」とやべっさんが勢いよく助手席から降りる。サングラスはいつの間にかしていなかった。ゴーンはゆっくりと腰を痛めないように運転席から降りる。
「蓬莱軒」の店主は若い。まだ20代だろう。それで店を持てるなんてすごいな、とゴーンは思う。
「ああ、どうも待ってましたよ。原因はなんだったんですかね? 急に動かなくなってねえ。まいっちゃいましたよ。こっちの奥においてもらえますか」
業務用冷蔵庫は重い。やべっさんと呼吸を合わせながら言われた位置におく。店はやっていなくても壁に染み付いた豚骨の匂いがゴーンの鼻についた。ゴーンは豚骨の匂いが嫌いだ。自分の家の近くにこのラーメン屋がなくてよかったとゴーンは思う。
設置を終え、電源を入れて冷気がでることを確認しゴーンはウエストポーチから請求書を取り出す。
「最近、このあたりで冷蔵庫の故障が増えているみたいっすよ」と店主が言った。はす向かいにある居酒屋と商店街にある知り合いのすし屋の冷蔵庫も調子が悪いらしい。
「なんでなんですかね」と言われてもゴーンは首をかしげるだけで何も言えず、ただ領収書にサインをするだけだった。
帰り道の車内でやべっさんが「どうせなら、町中の冷蔵庫が故障してくれるといいですけどね!」と笑いながらいった。ゴーンは久々にチラシでも撒いてみようかなと考えた。



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