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【私のプロフィール紹介】そして仕事観 ~先ずは自分が胸襟開く~


私の両親は栃木県の真岡市出身です。大学生の時に自分の先祖について「どこから来たんだろう?」と疑問をもって調べてみました。

わかってきたことは、もともとは越後の一向宗信徒で、下野の国に移住してきたのが始まりということ。上杉謙信が出陣するのを丘から眺めていたかもしれませんね!

栃木に引っ越してきたご先祖様。じいちゃんばあちゃんの耕していた田んぼの地区名は「しんでん」でした。「新田」かな?と勝手に思っていました。でも、実は調べると表記は「深田」。きっと腰や胸まで泥に埋もれるような深い田んぼだったに違いありません。苦労して家族を守ってきたんだろうなあって思います。

生まれた私

真岡から父も母も上京して働きました。そしてお見合い結婚で、新居を構えます。それが埼玉県の栗橋町でした。
そこで生まれ育ちました。2800gしかない小さな赤ちゃんで、幼稚園は病気ばかりでした。まともに幼稚園へはいけませんでした。健一という名前なのに、なんと不健康だったことでしょう。

いつも幸手にある病院の窓から流れていく雲を見ていたのを今でも思い出します。小学校に入学すると驚くほど体が丈夫になりました。私は2年生まで栗橋で育ちました。3年生の時に東京に引っ越し、富士小学校へ転入しました。3年生の時までは病気の影響でプールに入ることができませんでした。4年生からプールには入れてとてもうれしかったのを覚えています。

今戸中学校を出て、都立白鴎高校を卒業して千葉大を経て小学校教員になりました。

教師になる

教師生活は今年で28年。いつの間にか、「教師私活25年。この町田が!」のど根性ガエル町田先生を越えた「経験年数」になりました。

最初は通常学級でスタートしました。12年やって、新しく特別支援学級が開設されることになり、特別支援教育に関わって2020年で16年目になりました。SNSはfacebookを2011年の2月に始めたのが一番初めです。その後起こった東日本大震災の時に実際の現場で何が起こっているのかを知ることができました。今年で9年目です。2020年1月11日よりyoutubeを始めました。高いスキルも大切ですが,立ち止まらずに進化する姿勢を持ち続けたいというのが信条です。

youtubeを始めた訳

今年も、小学校で特別支援学級を受け持っています。最近、受け持ちの児童の中で【将来YouTuberになりたい】という児童が多くなってきました。いつも、【それはいいねえ!】と伝えています。でも周りの大人の表情や言葉は冷ややかです。
でも、誰も先生でYouTubeをやっている人はいないわけです。だから、どんなところに難しさがあるのかわからないですよね。そこで私は、誰もやっていないなら、先ずは、自分がyoutuberになってみれば、卒業した後の子供たちも支援できるんじゃないかな?と考えました。
自分が感じていることも紹介できますしね!本に書かれていない
【実践知】が大切と考えるからです。こう考えることができるのは、私が、2011年の2月に、facebookを始めた時と現在の状況が同じだなって感じているからです。あの時も、SNSを教師がするなんて考えられないって周りには言われていました。でも今は、先生もみんなTwitterやインスタグラム、LINEをやっていますよね。

さてと、私はどんなYouTuberになろうかな?先ずは、読んだ本の知識や今までの経験の紹介かな。子ども達への支援の時に大切なことをお話しして子供たちの力をつけるには?ということ。日々考えている毎日は、結構楽しいです。

好きなこと

小さい頃から大河ドラマを見ていて,歴史が好きです。「独眼竜政宗」の愛姫のかわいらしさにはまいってしまいました。そして、歴史群像のシリーズをいつも購入しては読んでいました。今は、あちこちに小さな城の探検巡り🏯しています。知り合いもできてきて一緒にお城巡りができるように、なってきたので嬉しいです。

1月19日からは、大河ドラマ、【麒麟が来る】もはじまり,2020年は楽しみです。

うれしかったこと

むか~し、むかし。
私が特別支援学級で自閉症・情緒学級を
受け持った時のことです 

交流級の先生に、うちのクラスの児童の交流学習を
よろしくお願いします(^^)と笑顔で言ったら

担任の先生に
自分のクラスでさえ大変なのに、
特別な配慮や支援の必要な児童など
見られるはずない!出来ない!
と言われました。

でも、確かにそのクラスは
難しいクラスで、誰もが持ちたがらないクラス
優秀な先生だけど、そう言うのも無理はない
と私は思いました。

私は、仕事がそれほど
忙しくなかったので、
大変な児童の様子を何人か聞き、
支援グッズを用意して
勉強・運動・生活支援をしました。
良い行動をしている子供の写真を撮って
価値語を考えたり、
自分が考えられるだけの
褒め言葉を伝えたりしました

そして、
そのクラスに
喧嘩やトラブルが起こった時は、
授業をすすめることができるように

給食の時間に別の教室へ呼んで
コミック会話で事実を確認し
担任へ結果を渡し、スムーズに保護者へ
連絡できるようにしました。

そして、
毎日いかに担任の先生が
君を大切にしているか?を繰り返し児童に
伝えていました。そんな毎日でした。

しばらく続けていました。
8か月後の11月のことです。

私は、出張に行く時に

「プリント用意します。ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします。」
と言ったら 、4月の時にけんもほろろだった交流級の先生は、
「なんでも困った時は遠慮なく言って下さい!必ずお手伝いします。」

と言ってくださいました。
私は目を見開いて、にこにこ笑っている交流級の先生を見ました。
「あ、あ、ありがとうございます。いってきます」
びっくりすると同時に、どうしてだろうなんて分析するよりも前に、涙が出てきました。 

マスコミやメディアでは
世界の荒廃を謳います。もう間に合わない、手遅れであるかのように
毎日毎日伝えます。確かにもう間に合わないのかもしれません。私は間違えているのかもしれません。
でも、それは違うんじゃないかと思うんです。

子供たちに関わる・携わる人たちの心こそが重要だと思うんです。

自分の心が豊かなら、どんなに世界が荒廃しようと
決して自分の世界は荒廃しません。

心配することはありません。

私のじいちゃんはばあちゃんは戦争に負けて何もなくなったところから生き抜いてきました。

沢山のお金や財産を失っても、心の海が豊かなら

いつでも復活できるのです!

私は自分自身の行動でそれを証明してみせます!!


(終わり)

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