見出し画像

戦艦大和の命日4月7日に悩まずに考えよう

分かっていたかもしれない……

日本海軍は先の戦争の初めのころ、航空機でイギリスの軍艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈しました。もう戦艦では航空戦力に敵わないということを知っていました。その時の攻撃を知る有賀艦長とともに大和は出撃しました。

どんなメッセージを残したかったんだろう?

私なんかよりも、はるかに非常に優秀で実践力もある皆さんが乗っていたはずです。きっと私に伝えたかった何らかの意味が「メッセージ」があるはずです。

大和の出撃には必ずメッセージがありました。いや必ずあったはずです。

今と同じく意外と冷静な日本人

実はアメリカの海軍に沈められてしまうことは、きっと乗組員の皆さんは口にはしなくても乗組員全員がわかっていました。どんな戦いでもそうですが、初めから負けてしまうことを口にするということは、戦時にはないです。あり得ません。そんなことを口にしたら戦えませんから。

生活必需品(生理帯とか)も積まれていた大和

大和には、沖縄の人の生活のために、生活必需品もたくさん積まれていて、補給するためにも出撃したのです。移動砲台だけでなく、補給船としての役割も持っていました。

責任押し付けでなく「価値づけを考える」ってどう?

「大和が沖縄に向かったのは意味がなかった」ということは、とても簡単です。なぜなら、どんな人も結果、大和は沈んでしまうこと、海上に浮かんで助かった人も、沈没した後のアメリカ軍の容赦ない機銃掃射によって亡くなっていったことをみんな知っているからです。

だからこそ私が生きるのにどんな意味として考えられるか?

でも、私は「この出撃には何か意味」があったのではないか。
いや、「どんな意味を残したかったんだろう?」と考えることが私に平和な國を残してくれたご先祖様の想いに応えることになります。それを考えることは、先行きがわからない時代を進む力になります。

歴史科学にも課題はある

日本のことを客観的にみることはもちろん大切です。戦争では、たくさんの犠牲者が生まれました。

でも、私は、わが國の日本が自分の母なる國であることを、もう少し意識して、自分の父や母だったと考えて【行動の中にある想い】を汲み取る力が今は大切なんじゃないかなと考えるわけです。

平和な時から、安全なところから、戦争をしている時のご先祖様のことを話すって、そもそも卑怯なことかも?とわたしは考えます。各国が帝国主義で戦っていた時代のことを日本の視点で考える時に、今の私たちには、あまりにも「自分の國である」という意識がすくないです。

思春期から壮年期の考え方になり、したたかになろう

いつまでも思春期の子供みたいにただただ戦争反対!
自分は親のようにはならない!というのではなく、どうして戦うことになってしまったのか?ということを自分でも考え、子供たちにも考えさせる必要があります。

これからの危機に備えよう


なぜなら、歴史で起こったことは、同じ形では現れませんが、違う形で表れてくるからです。日本にはチャンスを活かせなかった歴史の積み重ねがあります。よい日本のバトンを子孫の皆さんへわたすべく、頑張りたいです。

よろしければサポートお願いします。 ありがとうございます!(#^.^#)