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「おかえりモネ」が教えてくれたこと

「おかえりモネ」が最終回を迎えた。断続的ではあるものの、物語を追い続けていた。納得のラストであり、本当に素敵なドラマに出会えたと思う。制作者、演者の方に感謝したい。

一体なにがそんなに素敵だったのか?この作品が、ものごとの「間」を大切にしていたからだ。

たとえば、主人公モネの幼馴染の漁師父子。震災でお母さんが亡くなり、父親は荒れる。立ち直ることは、最愛の人を忘れることでもあると信じる父親は、「俺は絶対立ち直らない」とまで言う。幼馴染はなんとか前を向かせようとするし、そのために自分自身が明るく振る舞う。だから衝突もする。

母親の留守番メッセージが残った携帯電話が、父親の支えだった。物語中盤でのぶつかり合いの際には、幼馴染はその携帯を手にかけようとする。

物語終盤、父親は母親の死亡届を書く決意をする。あれだけ過去に留まりたがっていた父親が、未来に一歩進もうとした。そのとき幼馴染は、あの携帯電話を「もっとけ」と差し出したのだった。

過去に引き戻される気持ち、未来に向かう気持ち。父子はそれぞれ真逆だった気持ちを交換するように、お互いの「間」にあるものを越えて、手を伸ばそうとした。

「おかえりモネ」というタイトルにも、優しい眼差しが込められているように感じた。物語終盤に入って、ああ、これは故郷を飛び出したモネが故郷に戻ってくる、そのときの「おかえり」のことなんだと思っていた。

しかし最終週で、震災をきっかけに地元を出ることを抑え込んでいた妹をモネが夢に向かって送り出そうとしたとき、風景が変わった。

このときモネが「おかえりを言う側」になった。主人公にかけられる優しい言葉だけではなく、主人公が発する勇気を込めたエールも、「おかえりモネ」の意味ではないか。そう考えると、ここでもやはり、物事の間と、そこを行き来することで人と人の関係が変わっていくことが見えてくる。

震災はどうしても、過去と未来という両極にくさびをうち、「忘れない」のか、「乗り越える」のか、問うてくるようなものだと感じていた。この震災は、それぞれの人にとっての大きな人生の転機に置き換えてもよいだろう。

だけど「おかえりモネ」は、忘れないことも乗り越えることも、どちらもひっくるめて生きていくこと、そのことを形にしてくれたように思う。

主題歌のBUMP OF CHICKEN「なないろ」では、その象徴として「傘」を挙げる。鞄に忍ばせる傘のように、それを携えて明日に歩んでいけるのだと。

傘は晴れの時には必要ない。一方で雨の時に万能かといえばそうでもなく、防げる雨もあれば、傘を持ってしても防御できない大災害もある。

モネのパートナーである医師が、「突然大切な人を失うリスクはゼロにはできない。だからこそ今この時に大切にするのだ」という言葉を口にした。

傘は万能ではない。しかし、傘を持たせてくれた人の温もりは、確実に心を守ってくれる。意味があるとか、必要だとかいう次元を超えて、私たちは過去の痛みを明日に運んでいけばよいのではないか、と思えた。それが、「おかえりモネ」が教えてくれたことだ。

(ながら視聴も多かったためシーンやセリフに不正確な点があれば申し訳ありません)

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