ピンクなゾウの夢を見てからというもの


一番最初に好きになったアーティストは?

影響を受けたアーティストは?

バンドマンにとっては
まるで握手を交わすのに近いアクション

ライブハウスで出会った人間や
大人の方、一回だけ受けたインタビュー等

様々な顔を持つ方々から
必ずといっていいくらいに問いかけられた

僕らの音楽を聞いてくださった
聖職者のような方々はだいたい

『ボカロ好きでしょ!?』と
目を爛々にしてにじり寄る

しかしながら、大変申し訳ありません
お詫びを申し上げます 

僕はボカロ検定中級を取得出来るか
不安な程、どちらかと言えば疎い方である

ちなみに我々のバンドで
ボカロ界隈に詳しいのは
サポートでドラムを叩いてくださってる
たなかけい さんだけである

あれほどボカロ界隈と血縁関係にある
アニメーションMVばかりを出している
クセして全員詳しくは無いのだ
ボカロ擬きなのだ

僕は2010〜2014年頃の
流行ったボカロソングしかわからない

ちなみに
メンバーを含めて周りの方々から出る
『影響を受けたアーティスト』の答えは

Mr.Children

BUMP OF CHICKEN

RADWIMPS

スピッツ

レッチリやビートルズを含む
海外アーティスト

等々誰しもが恋焦がれて灰になってしまう
スーパースターの名前が常連

最近だと

マイヘア ハンプバック クリープハイプ
などもいるのでは無いか?

僕も上記のアーティストから
エッセンスは少なからず頂いている

これは事実

だが、僕が音楽をやる理由や
『音楽は自由であるべし』という
制作の重大なコンセプト
頭に巻かれたハチマキの額に書かれた
決意の言葉を生み出したきっかけは別にある

それは

ディズニーミュージック

ぼくの作る音楽の85%は
このエンターテイメントで出来ている

過言では無い

熱を出した人間が遠のく意識の中
ポカリスエットやアクエリアスをコップに注ぎガブガブと飲み尽くすように僕も
身体と精神の間にギャップや乖離が生まれた
際にはディズニーミュージックを聴いたり
ディズニー映画を観て感覚を保つ

一番最初に浮かび上がる
ディズニーミュージックとの出逢いは
ディズニーランドのショーのビデオ

幼稚園の年長さん

出来立ての僕が魅了されたソレは
テーマパークのショーの一環にしては
完成されすぎていた

東京ディズニーランドにて
今ではもう開催されていない
シンデレラ城前でのキャッスルショー

様々な作品のキャラクターやダンサーが
一同に介してエンターテイメントを
ふんだんに撒き散らすキラキラとした世界

衝撃を受けた 感銘を受けた
その日から
僕はディズニー映画を含め、
そのこだわり抜かれた
音楽を探求、追求し始めた

そしてキラキラと振り撒かれた
芸術とエンターテイメントの
魔法は現在まで解けずにいる

リトルマーメイド
『アンダーザシー』
『パート・オブ・ユア・ワールド』

アラジン
『ホールニューワールド』
『アラビアン・ナイト』

ピーターパン
『ユー・キャン・フライ』
『リーダーに続け』

ピノキオ
『ハイ・ディドゥル・ディー・ディー』
『もう糸はいらない』

ふしぎの国のアリス
『お誕生日じゃない日の歌』
『ドードーの歌』

あぁ、キリがない
まだまだ聞いて欲しい名曲があるのだが

その中でも僕が多大なる影響を受けた
楽曲を今回は紹介させていただくとしよう

それは

サーカスにやってきた
耳が大きく周りから忌み嫌われる
ゾウの子ダンボが、様々な苦難を乗り越えて居場所を見つけるお話

1954年公開
『ダンボ』の劇中歌

『ピンクエレファントパレード』

である

映画後半
酒を飲んでしまったダンボの前に
幻覚として現れるピンクのゾウ達

彼らが生み出すケミカルでコミカルな
音楽と映像は幼少期の僕には
強炭酸のようだった

悍ましいゾウの風体に 漆黒な眼は
今にもブラウン管の向こう側へ連れ去られてしまうのではないか?と勘繰ってしまう程
2次元的無機質味を感じた

お初にお目にかかったこの感情は『畏怖』
しかし、どうにもオカシイ

夜のトイレや化物の類いを
怖いと目を瞑る『畏怖』とはまったく訳が違う

遠足の前日に心踊り
脳内パーティ 瞼の裏側ダンスホール

イメージはそちら側だ

はじめて彼らと遭遇してから
怖いもの見たさに映像を流しては
怯え、また映像を見る日々が連鎖した

歌と展開を完全に理解した頃には
僕はピンクエレファントに
囚われてしまっていた
やはり彼らは僕をあちら側の異界へ
連れて行くつもりで現れたのだろうか

いまでは
落ち込んだ際に観るメンタルケアの道具となった

見るドラッグ

この音楽と映像を知る人で
そう呼称している人間も多い

ドラッグの経験は無いけれど
脳が溶けていく感覚はまさに
ソレなのやもしれない

ピンクエレファントパレード以外にも
ディズニーミュージックには
荒唐無稽奇妙奇天烈摩訶不思議な
劇中歌が多い、1950〜1977(日本公開年)
白雪姫からくまのプーさんまでは
とくにイカれている ほんとに凄い。

だが、頬が緩むような淡く温かいラブソングもあれば、主人公の心情を投影したバラードや、こちらまで踊り出したくなるポップソングなど一つの映画音楽の中に
何色ものバラエティ性がある。
そしてそれは混ざり合い灰色になる事なく
コントラストとして共生している。

僕が音楽を作るうえで
ヒントにしている一つ
『歌詞に合わせた曲調』はこれをヒントとしている

映画の音楽も
歌うキャラクター、場面、場所、映画の時系列でまったく別物に変わる

僕は先に歌詞を書いて楽曲制作をスタートする
詞の視点となる人物の心情、時間帯や風景
を明確に記載
そうすると次第に曲調も定まってくる
歌詞が人間で言うスタイルや表情ならば
曲調はドレスコードなのかもしれない

『曲に統一性が無く、何がしたいのか分からない。』

ライブハウスの人間に
こう指摘された記憶は未だ鮮明に在る

まぁ、そのように言われても
仕方は無いのかもしれない
けれども当時から
僕らの統一性は自分のギターや詩の癖
だろうと考えはしていた

そして
ムラカミカエデの加入でそれは
更に飛躍した

彼が歌えばヒトリヨブランコになるからだ

メロディやリズムから音楽を
組み立てる事が出来ないわけでは無い、
ただ単純に興味が湧かないのだ
『歌詞』に宿った人物の心情や、時代背景、風景、そこらかしこを立体的にする作業に
喜びを感じて今まで繰り返している

立体感? とはなんぞや
と思う方に対して僕は大変心優しい青年
そんな質問にもお答えします
ただこれ以上文章を続けると
このnoteが世に投稿される年代が
2024年になってしまいそうに感じる
仕方がなく断腸の思いで、
今回僕の思う音楽の立体感に
関しては後回しさせて頂く。悪しからず
決して文章が長くなるとその分
見直すのが長くなり面倒極まりない と
辟易しているからでは無い
決して無い

音楽に限らず
平面な表現は視点が一つで事足りる
なのでどれだけ心が揺さぶられようが
賞味期限は遅かれ早かれあるだろう

姿形が飛び出る作品は
どの角度にこだわりを託しているのか
と細部まで味わえる
下から見たり、上からみたり
横から見たり、また正面を見直したり

飽きる時間が来る前に
さらなる発見が押し寄せてくる

理解できるもの 共感できるものが
最高傑作などという人間は

自分が最高傑作を理解できる
立場であると慢心している

うーむ、言葉が強く
角が立つ これでは誰かが
小指をぶつけてしまうか?
いやいや、これくらい言わないと
垂れ流しで音楽や映像を喰らう
インスタント芸術が蔓延る
表現滅亡SNS都市になってしまう
心を青鬼にしようじゃあないか
誰かが棍棒を振らなければ
その危うさは理解できないのだから

個人的な意見ということは大前提として

すべての作品に対して 
『いずれ理解が追いつく』
という状況を求む

あまりにも速すぎて見えない!
みたいなイメージ

提示された芸術作品に
順応できない僕らは
鰓を生やすように、翼を生やすように
他の作品に身を投じる
するとそこで得た経験や知識が
先程意味が不明だった芸術作品の
攻略法、キーワードやヒントになる

これを感じる時ほど
脳汁が滴り
サウナでいう整う状態
になる事は無いであろう

幼少期ピンクエレファントパレードを見て
意味は到底理解できなかった

けれど
じっくりコトコト時間を費やして
たどり着いた先にあったのは
アイデンティティを生み出す手段や部品
現在の客観と俯瞰の考え方

ディズニー作品のすべてがあるからこそ
音楽に通じ、言葉に通じてから
人間味を豊かにできていると自負する

影響を受けたアーティスト の枕詞に

1人の人間として が付くほど
過去・現在・未来を
構築してしまっている

それほど素晴らしい

ディズニー

厄介な現代社会
緊張や不安で
歩むべき人生がブレブレになってしまう

そんな時に

綺麗な線を描く為の定規のような
役割をあのピンクのゾウさん達は
担ってくれている

たぶん 何年経てど


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