Baby cruising Love~♪東京~広島往復地獄のツーリング!(前編)
※自分の過去のブログ記事を再構成したものです。
2011年5月3日(火)
広島で開催される「ひろしまフラワーフェスティバル」に行ってきた。
目的はもちろん、私が愛して止まないPerfumeのステージを見に行くためだ。
私は以前にもPerfumeを追いかけて東京から高知までバイクで駆けつけた。
行きはフェリーにバイクを積んで、帰りは800キロを13時間かけて走り抜けた。
その経験から「次は1000キロを走ってみたいな」と言う願望が湧いていたので、Perfumeが「ひろしまフラワーフェスティバル」に出演すると聞いた数日後には広島のホテルを押さえていた。
結論から述べると、かなり無謀な旅だった。
高知までの遠征がそれほど苦しくなかったし、大阪まではクルマで何度も行っているので、甘く考えていた。
今現在でもよくもあの地獄から生還できたものだと思う。
東京から広島までは19時間もかかり、広島から東京までは、なんと24時間もかかった。
往復で1683キロ。走行時間43時間(休憩含む)。
この過酷な記録。
往路と復路に分けて、二つの記事を書こうと思う。
【筆者スペック】
年齢:38歳
身長:チビ
体重:小デブ
髪型:ハゲ
【バイク】
Harley-Davidson XL883N iron
北米マフラー以外はすべてノーマル
一番頭を悩ませたのが装備だった。
5月の頭。日中は汗ばむほどの陽気だが、朝晩はかなり冷え込む。
往復共に深夜にかけて走る予定なので、冬用の装備にした。
近所を走るのであれば確実に過剰装備だ。しかも、もし暑かった場合はそのまま冬の装備が大きな荷物になる。
結果、それでもまったく足りなく、足止めを食らうほどに寒い思いをした。
また、本州の西の方面は吹田までしか行ったことがないので、ルートの確認にも気を使った。
今になって振り返れば簡単なルートだが、高速道路で道を間違えると痛い。Googleマップでシュミレーションをしても、何故か大阪で道を間違える。
事前にブログなどで東京~広島を往復した人を探して学習しようとしたが、どなたも途中で宿泊されていて、参考になるものはなかった。
今回の旅は、正直に言って不安だった。
眠気でブラインドコーナーの先の渋滞に気づかずに最後尾に突っ込むイメージが何度も脳裏に浮かび上がって、夜中に起きてしまうこともあった。
なので、普段は神頼みなどしないのだが、生きて再び地元に帰ってこれるように、実家近くの深大寺に祈りを捧げてお守りを買ってざる蕎麦を食べた。
また、身体の負担を減らすために、見た目は悪いがクルマ用の「お尻痛くないシート」(750円で効果絶大!)を敷いて行くことにした。
行程は
往路
2011年5月2日(月)の21時出発
2011年5月3日(火)の12時到着(15時間見積もり)
※途中雑魚寝睡眠
復路
2011年5月4日(水)の昼ごろ出発
2011年5月5日(木)の未明に到着
※疲れたらどこかで寝る
と設計した。
が、5月2日(月)の仕事中に「高速道路は空いている」という情報を得て、少しでもコマを進めてから休んだほうが良いのかと思い、突如計画を変更して21時出発の予定を16時半出発に変更した。
持ち物リストでチェックが入ってないのは携帯とiPhoneと充電器と財布くらい。それらを上着のポケットに入れて、リストにチェックを入れて、家を出た。モンベルのドライコンテナに入れたバッグをリアフェンダーに固定して、16時半に出発した。
2011年5月2日(月)17時半
自宅から13キロ。
毎度立ち寄る東名川崎入り口そばのセブンイレブン。
これからだ!と言うところで夕方の渋滞にハマって気が滅入るが、一服した後に東名に乗った。
山の向こうに沈んで行く夕陽を追いかけるように西へ西へ進んで行く。
山を越えるたびに何度も夕陽が現れる。
混んでいるわけではないが、そこそこクルマが多いので、あまりスピードは出せない。
2011年5月2日(月)18時43分
自宅から90キロ。
足柄SAに到着。給油。
日が暮れると、予想以上に寒くなった。
今回の旅は「寒さとの戦い」も大きな部分を占めた。
まだ出発したばかりなのに、この時点で装備の薄さを後悔した。
寒さをこらえるだけで体力を奪われるので、ここでオーバーパンツを履き、インナーにもう一枚シャツを着た。
2011年5月2日(月)20時05分
自宅から166キロ。
日本平PAに到着。
大型トラックが多く、80キロ、90キロほどで巡航しているので、やはり思うようにスピードは出せない。
80キロで走行している大型トラックを、90キロで巡航している大型トラックが追い抜く際に平行して2車線を潰すので、その後ろが渋滞気味になる。
結局この「大型トラック問題」は広島に行くまでついて回った…。
2011年5月2日(月)20時45分
自宅から205キロ。
牧之原SAに到着。給油をして、ゆっくりと食事。
沼津で謎の渋滞にはまり、ここで体力を削られた。
SAは人で溢れ返っていて、落ち着く場所がない。
ここで気づいたが、私以外のバイクをほとんど見かけなかった。
2011年5月2日(月)23時10分
自宅から329キロ。
愛知県伊勢湾岸道に入り、刈谷PAに到着。たぶん給油した。
覚悟はしていたが、豊田JCTの手前でそこそこの渋滞に捕まった。
この辺りからケツが痛くなってきた。
行く前から伊勢湾岸道の強風を恐れていたが、幸いにも風はほとんど感じること無く通過出来た。ただ、高所恐怖症の私にはスリリングな道だった。
今回のツーリングでしみじみと思ったのは「自分は車間距離を多く取り過ぎている」ということだった。逆に「他の車両が車間距離を詰め過ぎている」と言いたいところだが、往復1600キロを走って、他の車両よりも、自分のほうが特異だと分かった。そこそこ流れている高速道路で、常にブレーキランプをチカチカさせながら前のクルマにピッタリと追従しているクルマばかりだった。
個人的な感想としては、頭が狂っているとしか思えない。
10台くらい前のクルマまで見通せたり、低速であればまだ理解出来るが、2、3台前しか先が見えないのに、よくもここまで接近して走れると思う。
トラブルが起きた場合には、絶対に回避できない距離だ。
前のクルマを運転している人間を、どうしてここまで信頼できるのだろうか?「居眠りしていて、中央分離帯にぶつかるかもしれない」などという想像力はないのだろうか?
私はバイクだし、クルマほど速度を急激に落とすことはできないので、いつでも大型トラックがラクに入れるくらいの車間距離を取っていたが、それがイライラするらしく、常に背後にピッタリとつけられて煽られた。
煽った後に急激に前に割り込まれることも何度もあった。
それでイライラしたり怒ったりすることはまったくないのだが、夜間の高速道路で後ろのクルマのライトが大きくバックミラーに映り続けるのはそれなりのストレスにはなる。
2011年5月3日(火)1時
自宅から410キロ。
新名神の土山SAに到着。
この時点で予定よりも2時間押していた。ともかくスピードを出すことが出来なかった。
もう眠る時間だったが、何としても大阪は越えてから眠りたい。
この辺りから「暗い」ということに恐怖を覚え始めた。
あとは、意識がはっきりとせずに走りながらボーッとすることも多くなった。
ここで大きな失敗に気づいた。
iPhoneや携帯の電源を切らずに走っていたので、バッテリーがかなり少なくなってきたのだ。ブースターパックも使い切り、SAなどにはコンセントが見つからなかったので、iPhoneをフルに使うことが困難になってきた。
「なんでコンセントがないんだ?」と疑問に感じたが、クルマの人には必要ない…。
2011年5月3日(火)2時53分
自宅から521キロ。
京滋バイパス、吹田を抜けて中国道西宮名塩SAに到着。
前日に起床してから22時間ほど過ぎていたので、疲労も溜まり、恐怖心も満タンになってきた。そして寒さも我慢するのが苦痛に。
吹田JCTを抜けた辺りで、走り屋のクルマが私と右車線のクルマの間を、恐らく160キロくらいのスピードで駆け抜けて行った。
そのクルマがかすっただけでも私は死ぬ。
あまりの恐怖にヘルメットの中で絶叫し、そこで心が完全に折れた。
自分の運転技術にも自信が持てなくなってきたので、ここで眠ることにした。
過去の大阪遠征で、バイクにくくりつけていた荷物をすべて盗まれたことがあるので、リアフェンダーの荷物をすべて持って休むことにした。「他人を信用するな」というのがそのときの教訓だ。
眠るに適した場所を探したが見つからなかったので、芝生の広場にあるベンチに横になる。
その時に、自分がゼイゼイと肩で息をしていることに気づいた。
心臓の動悸も早く、全力疾走した後のように呼吸が荒くなっていた。
ずっと気を張りつめていたのだと理解した。
寝る、と言っても眠るための装備は何も持っていない。
そのままベンチにごろんと転がって、着ていたN3-Bのフードをかぶり、チャックを鼻のところまで上げる。
星を見ながら呼吸が落ち着いてくるのを待つ。
さすがに走っている時のような寒さは感じない。
深夜にも関わらず、周囲は長距離トラックのエンジン音や人がバタバタと歩き回る音が絶えずに、落ち着くことはできなかった。
寂しくなったら誰かと電話で話すかTwitterで紛らわそうと考えていたが、バッテリー不足のためにそれも出来ない。
しばらく目を閉じていたが、眠れそうにもなかったので、コーヒーを飲みながら空が白くなるのを待った。
2011年5月3日(火)5時半
明るくなってきて、若干の勇気らしきものを感じたので、再び出発することにした。
あとたったの250キロくらいで到着する!
2011年5月3日(火)6時半
自宅から649キロ。
山陽道瀬戸PAに到着。
日が出てきて寒さ地獄から解放されると思っていたのだが、どこまでも曇天でとてつもなく寒い。
バイクで走っていなければ過ごしやすい日だと思う。
ここで気づいたのは、自分とバイクの「汚れ方」だった。
うっすらと白い粉のような汚れが自分の服の前面に出ていた。
バイクも同じく、白い粉がたくさんついていた。
地元のライダーさんたちの爽やかな集合場所にボロボロの姿で入り込む快感。
どこだったか忘れたが、カップルのライダーがちゅーをしているところに割り込んで、ちゅーの延長を阻止できたのが嬉しかった。
たぶんこの辺りで撮った画像。今回のツーリングでは写真を撮る心の余裕はほとんどなかった。クルマ用の「お尻痛くないシート」を敷いています。
2011年5月3日(火)8時半
自宅から735キロ。
福山SAに到着。給油とかしたと思う。食事もしたかな?この先のどこかで25キロの渋滞が発生しているようだが、それがどこなのかが分からない。
バッテリー残量の少ないiPhoneで調べてみるが、広島の手前辺りが赤くなっていることしか分からなかった。
SAには、東名高速のような電光掲示板はなかった。スイスイと進んでいるのであれば自分の疲労具合と相談して駒を進められるが、渋滞に遭遇してしまうと次の休憩場所まで必死になってすり抜けをしなければならない。
もうすり抜けはこりごりだった。
2011年5月3日(火)10時半
奥屋PAに到着。距離数不明。
ガチガチに動かない渋滞を抜けて走って、疲労のピークに差しかかった。
もう目の前が広島なのに、ここで体力の限界を感じる。
この渋滞がどこまで続いているのかが分からない。
気が細くなってホテルに電話をするが、「(こいつ何言ってるのか)よく分かりません」との返答だった…。寂しい。
もしも目指す広島まで続いているのであれば、私はもう走ることは出来ないと感じた。もちろん引き返すことも出来ない。
楽しみにしていたPerfumeのLiveと、その後のオフ会の辞退も脳裏によぎる。何をしにここまで来たのかが分からなくなるが、前へ進まなくてはならない。
チラッとTwitterを見てみると、もう会場に場所取りをしている人がいるようだった。
会場まではまだ100キロほどの距離がある。
「もう今夜は広島のホテルで眠れれば良い」
という所まで希望のランクを下げて、再び走り出した。
後で分かったことだが、私はここまで30キロの(恐らく事故による)渋滞をすり抜けしていた。
そして走り出すと、しばらくして「事故渋滞」との掲示板の情報が入った。そして車線が一つ潰されて、渋滞がさらに酷くなる…。
と思いきや、車線規制はあっという間に解除されて、10分くらいの渋滞でその先はガラガラに変わった。
たぶん、ヘルメットの中でゲラゲラ笑っていたと思う。穴と言う穴からアドレナリンが吹き出す感覚。
深海の底から突如宇宙空間に飛び上がるような展開だった。
もうPerfumeのLiveも、企画したオフ会も何もかもあきらめて絶望していたのに、いきなり目の前に希望がひょっこりと顔を出した。
2011年5月3日(火)12時47分
自宅から826キロ。
本来は途中で5時間程度睡眠を取る予定だったが、ほぼ予定通りの時間にホテルに到着することができた。
無事に到着できた喜びで、それまでの苦しさはすべて吹き飛んだ。
私を安全に運んでくれたXL883Nよ!ありがとう!
後編へ続く
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