生まれ変わる

 隔離生活一日目。
 朦朧とする意識の中で、かすかにファンファーレを聞いたような気がした。
 テレビではアイビスサマーダッシュの映像が流れている。異様だった。馬群が二手に分かれて、内と外で別のレースをしているようだった。
 私は無性に嬉しかった。安堵すらした。いろんな生き方、戦い方が競馬にはあって良い。そしてなにより、どの人馬も無事だ。しっかり生きている。
 見えない敵に蝕まれた私は、日常から引き離され、このあと死ぬかもわからない。しかし今見ているものは、好きな者たちが生きている日常そのものだった。
 「良かった…本当に良かった」
 一瞬の幸福感を残して、睡魔の渦に飲まれていく。
 
 介護現場のクラスターなど、形成されるのには時間はかからなった。
 個室の隔離といっても閉じ込めることは虐待となるし、縛りつけることもできない。マスクという概念がない陽性の利用者様は、全部屋を訪ねてまわる。寝たきりの陽性者の口にお粥を掬ったスプーンを近づけると、いきなり大声を出して腕を掴まれる。
 嫌な咳を出したスタッフの離脱は加速していく。過度の緊張感と恐怖、ストレスが残されたスタッフの性格を醜くさせる。館内のすべてが汚染されている気がして、まともに食事も取れない。今どこでどんな馬が走っているのかという関心を抱くことすら許されず、一日一日を終わらせることに注力する日々が何週間も続いた。
 そして、とうとう私の順番がやってきた。
 
 夕方、窓越しで豆腐屋のラッパが呑気に鳴っている。事態収束に特化すべく職場の近くにマンスリーマンションを借りていたが、日中の近所の当たり前をここ数日間で知った。
 ラッパに誘い出されるのか、野良の三毛猫が窓の外でこっちをじっと見ている。
 「悪いな、関われないんだ」
 今でも施設では残されたスタッフが必死で戦っている。助けが必要な利用者がいる。それなのに、なにもできない自分が腹立たしい。目の前のこの猫に、触れることさえできない。無力にもほどがある。
 ―感染させるまで、無理させてごめんなさい。札幌記念の予想などをして、休んでください。
 競馬仲間である施設長のメッセージを、私は返せずにいた。彼は、ソダシが何色でも興味のない、五十歳のオジサンオッズ信仰者だ。G1の度に馬券を代理購入しているが、彼が勝つ姿を見た記憶がない。長年の私の競馬愛に説き伏せられたのか、今では白毛一族を熟知したし、オジュウチョウサンの応援に行くのだと伝えれば、難しいシフトも調整して、必ず中山の舞台へ送り出してくれる。
 ―なにか必要なものがあれば、教えてください。
 そんな彼自身、人のいないところで咳込んで苦しそうにしていることを、ほかのスタッフから聞いていた。
 =元気な施設長でお願いします。
 食欲が回復したこともあった。誰かに頼りたい弱さもあったのだと思う。
 =あと、美味しい梨(冗談です)
 翌日宅急便が届いた。アマゾンで頼んでいたパルスオキシメーターだ。感染リスクを考えて「あ、置いておいてください」とインタホーンで告げ、気配がなくなったことを確認して、扉を開けた。
 青々とした幸水が二つ、スーパーの袋に入って置かれていた。どこかで聞いたような懐かしい声に反応できないくらいに、私はまだ病魔の淵にいるようだ。
「やっちまった…」
 よく見るとメモが添えられている。
 ―この前の、エフフォーリアのお礼です。
「この前っていつだよ…」
 しかもそのときの有馬記念の馬券、施設長は盛大に外している。職場でレースを一緒に見届けたあと、彼は興奮しきっていた。
「エフフォーリアってかっこいいな、年度代表馬だ!」
「悔しながら…」
 クロノジェネシスの有終の美を阻まれた私は、やや落胆した。
「吉田さん」
 真剣な声色で、施設長が言った。
「吉田さんが競馬を好きな理由がわかった。俺、今日初めて馬のことが好きになったよ」
 私も、にやりとマスク越しで笑ったんだっけ。
「ようこそ、こちらの世界へ」
 
 隔離生活八日目。
 梨がやっと熟れ始めたので、独りで剥いていく。あのあと、メッセージで何度か施設長とやりとりをした。
 職場の近況を頑なに報告して来ないのは、優しさゆえだ。梨を届けてくれた前日、ちょうど私が豆腐屋のラッパを聞いていた頃に、利用者が居室で亡くなった。こういうときのお局様の伝達能力の高さには頭が下がる。
 口笛が上手すぎるおじいちゃんだった。あまりに上手いので、年に二回しか聞くことのできない中山JG1のファンファーレをせがむと見事に吹きこなした。ただ深夜にも吹き続けるので、ご近所トラブルにもなった。
 私が職場を離脱する前、そのおじいちゃんの血中酸素飽和濃度は、八十台に落ち込んでいた。
 九十五以上が平常とされる状態で、どんなにつらかったことか。隔離されてから口笛は一度も吹けなかった。
 幸い私はまだ生きている。咳も出るし、肺に痰がへばりついているが、血中酸素飽和度も問題ない。
 脈拍は、なぜか高い。
 私の心臓の重さは、きっと今剥いている梨くらいだ。一分間に百回以上心臓が拍動している。心臓に無理をさせているのだ。
 対して、サラブレッドの心臓は四~五キロだという。大きめの西瓜一個分だ。心拍数は三十六から四十回程度。一度に全身に多くの血液を送ることができるので、心臓の負担が少なく、走るときの大きな武器となる。
 あのキタサンブラックはなんと二十八回だというのだから、輝かしい戦績も頷ける。
 ただ、追切り時の競走馬の脈拍は二百を超える。想像したこともない息苦しさがありそうだ。さらにジョッキーを乗せているし、天候や馬場でもきっと体調は変わってくる。
 走る際に必要な筋力を持ち続けること、心を途絶えさせないことも重要だ。積極的に馬と関わり、敏感に対応する陣営の優しさが、今の競馬界を支えているのだと思う。 
 そうだ、関わり続けること。優しさを持ち続けること。それは、私にも必要なことだ。
「大丈夫だ。俺は」
 あの利用者が発熱する前、しきりに体調の変化を聞いたのに。なんであんなに簡単にあしらったんだよ。
 梨が甘すぎて、泣いてしまう。
 なんとか、もっと早く気づいてあげたかった。もっと関われば良かった。
 まだクラスターは続いている。その場に戻らなければ私は安全だ。肺も心臓も、次はどうなるか、わからない。
 仕事の勘も鈍って、臨機応変に動けないかもしれない。
 正直、怖い。
 離脱する前の徒労感や絶望感にもう一度耐えられるだろうか?
 ―走る場所を変えるのも一つの生き方。けど、俺はまだマカヒキじゃないけど、この場を引退しません。また、一緒に走りたいです。 復帰を待っています。
 施設長が、私に訴える。
 常に私の前で、馬は生き方を示してくれていた。一つの距離や舞台を極める職人や、芝とダートを行き来する挑戦者。あるいは海を渡る冒険者。私の頭上を軽々と飛び越えてゆく絶対王者の後ろ姿を、私はずっと追いかけている。
 閉じ込められたワンルームで、数多のターフの風に吹かれ、深呼吸する自分を想像する。走りながら考えればいい。きっとなんとかなる。
 今度こそ、利用者を守り切ろう。自分がつぶれないように、ほかのスタッフと、もっと関わろう。
 生まれ変わりたい。いや、私は生まれ変わるんだ。
〝そして待っていました!よくぞ復帰してくれました、一番デアリングタクト!〟
 困難に打ち勝ち、ヴィクトリアマイルで一年一か月ぶりに復帰した彼女を、温かい拍手が包んだ日のことを忘れない。
 私も私の晴れ舞台に、きっと立つ。きっと叶う。
 
 隔離明け、例の豆腐屋を待ち伏せし、木綿豆腐を買った。今晩は麻婆豆腐にしよう。久しぶりにチューハイも呑もう。いつか施設長とも呑んで、有馬記念の連覇を狙うエフフォーリアを、テレビではなく、現地で応援する約束をしよう。
 そう、私は生まれ変わる。
 三毛猫が、いつもの場所に鎮座していた。満を持してツナ缶を置いてみる。一通り食べ散らかした後、満足した表情で初めて鳴いた。
「がんばれよ」と、言われた気がした。  
 

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