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ある気分変調症者に転機が来た

私は親ガチャで盛大にハズレてこれまでに人生の大半が💩だったが、現オットがまともな人であるため、こちらのガチャでは当たりを引いた✨

人間として💩だと、人を見る目というのは育たない。最初の結婚では前夫は私にはいい相手だと思って10年ほどわりと幸せっぽく続いたのだが、自分が異国の某国でも生きていけると自立心が出てきたときに、実は私は常に前夫より下等な人間として扱われてきたことに気づいた。前夫には面と向かってそうは言わなかった。そんなことを馬鹿正直に言ったのでは、相手もカチンとくるだろう。とにかく離婚を泥沼にしたくなかったので、私は前夫に対する愛情がなくなったという建前で根本的なことには触れずに進めようとした(力士の貴花田みたいなこと言ってた)

某国では一方が他方を悪者にして裁判を起こすという工程を踏まなければ離婚できない(某国には協議離婚という考えも制度もない)

前夫は私が始めようとしていた手続きを俺に全部任せろと言って乗っ取って、自分が原告となり、私を被告人とした

起訴状を見たときにはなんか残念だなあと思ったが、前夫の気の済むようにさせた

現オットがまともな人だと本当の意味で気づいたのは実は結婚して数年が経ったころのことだ。これはラッキーとしか言いようがないが、それまでの人生が💩だったので、これくらいの幸運を授かってもバチは当たらないだろう

オットを信頼できたからこそ、私は自分の仕事を辞めて1年ほど仕事をしていない時期があった

某国の小学校にあたる学校では親が子を学校まで送り迎えしないといけない。学校は9時まで始まらないし、3時半には迎えに行かないといけない。他の家族の協力がなければ、両親がフルタイム会社勤めというのは無理なのだ。我が世帯はオットも私も近くに頼れる身寄りはいない

私は最初は自分が仕事をしない人間になるということを受け入れられなかったのだが、オットが両親で仕事と学校の送り迎えでストレスを抱えている状態は子どもによくないから、私がどうしても仕事を辞めたくないのなら自分が専業主夫になってもいいと言ってきた

でもストレス管理では圧倒的に私の分が悪かったのが明らかだったので、私が仕事を辞めることにした

これが私の精神衛生によい影響を与えた。私は生まれて初めて他人を信用して自分の人生の立て直しに協力してもらう勇気が出たのだ

しかも、翌年には薄給でも安定的で私の能力で楽にこなせる学校勤務の仕事にありつけて、そこそこ楽な仕事をして、家事もし、子どもの学校の送り迎えには余裕で対応できてストレスがほぼない状況になり、ついでに食生活の改善も積極的に行い、私の精神衛生は史上最高の状態になった

私はオットと自分の子ども、この世でこのたった二人が私に生きていてほしいと思ってくれているのであれば、あとの人の考えは別にどうでもいいと思うようになった。どうでもいいというのは他の人に無礼や意地悪でもいいという意味ではなく、その他の人の機嫌を取ろうと無理する必要がないということ。だからオットや子どもに隠し事なく、見栄を張ることもなく、私は不完全な人間と開き直って胸を張って生きていければそれでよしとしたのだ

だから私はごく普通の人のように暮らせるようになった

精神疾患は一人では絶対になんともならない。第三者で少し引いた視点で私を見てくれる人が必要だ。ただ、普通の第三者は他人の精神的問題というめんどくさいことには首を突っ込みたくないし、よほど近しい間柄でなければ親身になってくれることも期待できないと考えた方が現実的だ

オットは頭がよく、自分に直接経験のないことでも、他人の言っていることに思いを馳せて理解を示せる人だということに私は本気で気づいた

私は人生の折り返し地点のあたりでガチャに大当たりした

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