本物の語彙力は、雑魚くても良い
私は長い文章が嫌いなので、簡潔に書く。
本当の語彙力と言うのは、語彙が豊富であったり、その用法が整っていることを指すのではない。
難しい言葉を沢山知っている、物知り博士と言うだけでは、語彙力の高い人物とは言わない。
語彙力は、言葉選びだ。
伝わりやすい適切な説明。
インパクト有るキャッチコピー。
ウィットに富んだギャグ文。
ネットで広く使われるコピペ。
漫画の名言集に、ざっくりと眼を通して貰っても構わない。
良く良く思い返して欲しい。
──それらに、難しい単語は使われていますか?(過言)
詰まりは、そう言うことである。
さてさて。
私は長い文章が嫌いとは言ったものの、正確には、ブログやエッセイなどで、中々結論に到らない文章が嫌いなのだ。
小説やコラムならば、むしろ文字数ドンと来いの精神である。
1ページで上下2段になってる小説、文字詰まってて好き。
よって、ここからは眼が滑べる。
結論だけを見たかった人は、ここで帰って貰おう。
これより先に待ち受けるのは、作家デビューさせる気の無いラノベ系専門学校に入ってしまうような──情弱底辺デブ作家の書いた駄文だ。
最初に提示したパンチラインについて、有って無いような根拠を、実体験や実感を交え、ただ永遠と述べ引き伸ばしているだけである。
ハードルも下げ終わった所で、跨いで行こう。
私が、一番最初にこの事実に気が付いたのは『小説家になろう』で、とある小説を読んでいた時だった。
この時の私は、アニメ版『化物語』を視聴したことにより、なりを潜めていた持病が悪化。
難読漢字こそ正義。旧字体こそジャスティス。
中二病を厨二病と表記し、それを自称してしまうような、アイタタタな男子になっていた。
読書をしたり。
某『ゆる言語学ラジオ』を視聴したり(決して貶している訳ではない。個人的に好みだったのは「ギガが減る」の回)。
そこで知らない単語と出逢えば、速攻メモ&検索。とにかく語彙の量を増やすことに対し、躍起になっていた(それ自体は悪いことではないのだが)。
しかし、当時彼はまだ学生である。
当然、小遣いには限度が有った。
と言うか新成人となった今でも、バイトもせず小遣いで生きていた。
そんな彼が、無料で作品を読みまくれる小説投稿サイトに行き着くのは、極自然な流れだろう。
そこで面白い小説に出逢ったのがきっかけだった。
……ようやっと本題に入れる。
ストーリーに引き込まれ、私は操られるように、画面をスクロールする。
そして──数十話読んだ辺りで、あることに気付いた。
あれ?
そう言えばこの小説、語彙検索を全然していないぞ?
そうなのだ。
この小説の文章は、スラスラと読めて、内容が頭に入って来やすく、所々でくすりと笑えるような小ボケをカマしたりもして来る。
そんな(お前、何様だよ……と言う物言いだが)良く出来た文章だった。
しかし、未知の語彙との出逢いは少ない。
思い返せば、難解な言い回しや、マイナーな慣用句が出て来た憶えもてんでない。
なのに、文章表現はやたらめったら豊かに感じてしまう。これは一体全体、どんな仕掛けだ?
当時、この不可解な現象に、大いに困惑したのを憶えている。
……いや盛りました。
正直これ書くまで忘れてました。
大いになんて嘘です。
ちょっと首捻って「まいっか」で済ませました。
とにかく、謎だった。
そしてこの奇妙な現象は、皆さんご存知、奇妙な漫画によって解決する。
そう。
不老の漫画家、荒木飛呂彦の描く『ジョジョの奇妙な冒険』である。
恥ずかしながら、私はついこの間まで、ジョジョを知らない愚民だった。
もしも、リアルの友人がこの文章を読んだとすれば「アレだけ語っておいて!?」とか言うだろう。
アレだけ語っておいてである。
視聴順も大概狂っていて。
アニメ版の5部、4部、そして123部──と言う順番で鑑賞したのだ。
もしもそれを他人がしていたら、荒木節じみた罵声を浴びせながら、月までブッ飛ばす自信が有る。
後でもう一度、通しで観たので許して欲しい。
それで……何の話だっけ?
そうそう。語彙。
疑問が晴れた話ね。
ジョジョを読んだことのある人間ならば分かると思うのだが、あの漫画には基本的に、難しい語彙は登場しない。
しかし、視聴している間、ずっと「ネットで使われてたあのセリフ、ジョジョだったの!?」の連続であった。
特に驚いたのは、3部のジャスティス戦。
身体に穴が空いた、奇妙な人間と遭遇した時。
「穴がボコボコにあけられているぞッ! トムとジェリーのマンガに出てくるチーズみてーに!」
ふぁ!?
何だその独特かつ的確で、それでいて万人が理解出来る比喩表現は!?
他にも「コーラを飲めばゲップが出るっていうくらい確実」だとか。
数々の荒木節が、凄まじいパンチ力を持って次々に繰り出され、これまでの固定観念がぼこぼこと音を立てて凹む。
私は感銘を受けた。
ジョジョを視聴し、愕然とした。
こんなにも強烈な言葉を、メッセージ性を、小学生でも分かるような語彙で表現してしまえるなんて。
ここで、私は理解したのだ。
先程述べた疑問の答えを、やっと得ることが出来た。
語彙力は、言葉選びだ──と。
所で私はVtuberが好きだ。
ステルスマーケティングではない。
中でもとりわけ『にじさんじ』と言うグループが大好きなのだ。
好きなライバーは『剣持刀也』『月ノ美兎』『ジョー・力一』『周央サンゴ』辺りである(順不同)。
最近デビューし、破竹の勢いで登録者100万人を達成した『壱百満天原サロメ』も、当然大好きですわ。
推し語りはこれくらいにして。
話題を戻そう。
彼ら彼女らの共通点と言えば、喋りの面白さにある。
語彙力がスゴいだとか、そんな評判もしばしば見受けられる。
しかし、難しい語彙を多く知っている──と言った印象を受けるライバーは、実際の所かなり少ない。
なのにどうして、語彙力が豊富であるのか?
ジョジョで答えを得た瞬間、頭の中でカチリと何かが繋がり、その回答を導いた。
言葉選びが巧み。
それが彼らのスタンド能力である。
ライバーと言うくらいだから、メインコンテンツは勿論、生配信だ。
そこでは視聴者を飽きさせない、高いトーク力が必要になる。
このトーク力こそ、真の語彙力。
カッコ良く言うのなら〈 ✞ トゥルー・ボキャブラリー ✞ 〉。
タイトルにある「本当の語彙力」であると考える。
リアルタイムで、面白おかしい言葉をチョイスしては、排出する。
しかし、笑いは理解なくして産まれない。
例えば今ここで、私がスワヒリ語でとてつもなく面白いギャグを放とうと、読者のほとんどはチンプンカンプンだろう。
そもそもスワヒリが何なのかすら知らない人が大半のはずである。
意味の分からない言葉を並べるにしても、それが「意味の無い言葉」であることを、相手に分からせなくてはならない。
ジョイマン高木は「ありがとうとオリゴ糖に、一体どんな深い繋がりが……?」などとは客に考えさせてはいけないのだ。
視聴者に伝わる滑稽ワードを、迅速に選ぶ。
受け手がその言葉を理解してこそ、言葉足り得るのだ。
それで色々腑に落ちた。
ビジネス用語ばかり使う人間が、何故鼻につくのか?
知らない作品の語録を使われると、何故イライラするのか?
やたらと堅苦しいアカデミックな文章を読んで、何故眠たくなって来るのか?
それは、相手に伝える努力をしていないからである。
考えたことはないだろうか。
何故、キャッチコピーは平仮名や低級語彙を多用するのか?
何故、インターネットに溢れるコピペ達は、難しい言葉が使われていないのか?
何故、卓越した文章は、オノマトペを挟んだとしても威厳が崩れないのか?
それは、万人に理解されるように計算されているからである。
万人に伝わる語彙の中で、いかにやりくりして行くか。
私があの時読んでいたウェブ小説は、今改めて思えば──。
普遍的で意味は絶対に知っているのに、普段、文章中に多用しない言い回しが、多く使われていた気がする。
そして、同時に悟ったのだ。
語彙力には決して、難しい語彙は必要ない。
むしろ、高度な語彙を陳列するだけでは、それは単なる自己満足──知識自慢にしかならないのだ。
普通の語彙で、普通じゃない言葉選び。
より正確に言えば、馬鹿でも猿でも分かるようにする能力。それが出来なきゃ、賢い人にはもっと分からない。
基礎無しで城を築こうなんぞ、笑い話だ。
難しい言葉を使う前に、まずその基礎を固めよう。
そこら辺がきっちりと出来ていれば、難しい言葉を使ったとしても、不思議と読者はその意味を汲み取れる物なのだ。
真に語彙力の高い人とは、頭の良さそうな言葉だけを喋らない。頭の悪い言葉を使いこなしてこその語彙力なのだ。
だから。
本当の語彙力とは、語彙レベルがめっちゃ雑魚でも全然OKである。
なのでまずは、その小難しい二字熟語の山を退けて、面倒臭がらず、本をコツコツ読む所から始めよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?