見出し画像

続・運気の話

ずいぶん前に運気の話を書いたと思います。あれから、よく思う事は

運の総量は決まっている説

に少し、頷ける部分があるかなということです。エネルギー保存の法則というのがありますよね、高校だったと思うのですが、物理で習います。文系の方でも、1年生くらいで習う基礎的なものなので、ほとんどの人が知っていると思うのですが、

運動エネルギーと位置エネルギーの総和は常に一定

というやつです。例えば、マンションの最上階(仮に30階くらいとします)で鉄球を持っていたとします。手を離せば、物凄い勢いで落下していきますね。ぐんぐん、加速がついて、一番、速度が速いのは、

地上に落下する寸前

になりますね。地上に落下した時の衝撃はとても大きいと想像できます。鉄球も割れてしまうかもしれませんし、アスファルトであっても、地面も無傷にはいられないと思います。

これを、今度は2階から同じことをすればどうなるかというと、

衝撃がかなり緩くなる

と、想像がつくと思います。音はしますけど、30階とは比較にならない弱さだと思います。これは要は手を離す地点の

位置エネルギーが低かった

からですよね。

要は手を離す寸前は、位置エネルギーは最も高い状態にあるわけです。そして、手を離して、どんどん、地上に近づくにつれて、位置は下がりますから、位置エネルギーはどんどん、低くなりますけど、その分、速度が速くなってきますから、

運動エネルギーは高くなってきます。

これは式なんか見なくても、感覚的にわかると思います。これが地上で位置エネルギーがゼロになるまで、運動エネルギーが高くなっていきます。だから、両者を足せば、一定のままなんです。つまり、

エネルギーの形態は変わるけど、総量は変わらないんです。

発電なんかでもそうですよね。発電所で作った電気が家庭や企業に運ばれてくるころには、電気はかなり少なくなっているんですよね。それは、細かく言えば色々な理由があるんでしょうけど、

送電線を通して、電気が伝わってくる時に、一部が熱エネルギーとなって消耗されてしまうから

ですね。つまり、形態は変わるけど、やはり、一定(電気エネルギー+熱エエネルギーの総和)ではあるんです。純粋なエネルギーの話ではないですけど、水の事を考えてもそうですね。地球上の水は常に一定です。ただ、局地的には洪水があったり、逆に水不足があったりします。でも、地球という規模で考えた場合、どこかに何らかの形で偏在しているだけで、全体としては一定の量が存在しています。寒い地域で氷になっているかもしれませんし、大気という形で存在しているかもしれません。形態はバラバラですが、皆、H2Oです。

話が長くなりましたが、個人の運だって、こういう仕組みになっているのかもしれません。だから、どこかで、損をしたなと思った時、あるいは最近、ついていないなと思った時、実は

一定量、運気を保つための法則が働いているのかもしれません。

つまり、鉄球で言う、位置エネルギーがリアルタイムで運動エネルギーへと転換している最中なのかもしれません(ちなみ、地面に落ちた時は地面に対する、物理的な力というエネルギーに変化したんでしょうね。専門外なので、詳しくないのですが)。

誰かの為に良かれと思ってしたことが、相手に反感をもたれたり、無視されたりすることがあります。大人であれば、そういう経験は誰もが一度はしていると思います。そんな時、人間には因果関係がわからないだけで、

将来の運の補填がされている可能性

を私は考えるんです。例えば、色々なヒヤリハットケースです。交通事故やら、小さなお子さんを預かっている職業の方、医療従事者、常に命と背中合わせの消防や警察の方とか、残念な事故はたまに起こるんですが、これは肌感覚にすぎないのですが、通常の数学的確率から考えて、圧倒的に少ないと思うのです。つまり、個人、個人の持っている運気でずいぶん、補填されているのではないかと思うのです。

運が良いと私達が実感するのは、宝くじが当たったとか、好きな人にプロポーズしたらよい返事をくれたとか、目標の学校に入学できた、会社に就職できたなど、目に見えることばかりなんです。でも、実際に使われたり、貯めたりしている運気の大半は目に見えないことで、その因果も通常は気づくことはないことなのではないでしょうか。

つまり、良かれと思い、自分以外の誰かのために頑張ったけど、報われなかった。こういう経験が、将来の

本当は遭う予定だったかもしれない、マイナスな出来事を回避することに使わる

のかもしれないわけです。私達が気づくのは実際に遭った場合だけで、

遭う予定だったのに、遭わなかったことには気づけない

からわからないだけなのかもしれません。個人的な経験ですと、去年の行政書士試験の時は行ったことがない場所が試験会場でしたが、きちんと、下見をするだけの余裕もなく、比較的ギリギリの時間に本番は到着しました。それが不思議なことに、信号で足を止まることがほぼなかったんです(記憶の限りでは、一回もなかったです)。そして試験本番では、比較的、自分がたまたま、知っている問題、書ける問題が出ました。何より、このnoteで何度か、書いていますけど、記述式の採点基準が甘い年度でした。そのため、1回で、たまたま合格に至りました。

しかしです。実は帰りに、都会なのに、道に迷って、なかなか帰れませんでした。そして、その後、軽い体調不良が続きました。もちろん、因果関係はわかりません。つまり、

運気の補填作用(この場合は先どりでしょうね)が起こっていた

のかもしれないんです。こういう話は、非科学的だと嫌う方もおられると思います。私自身も、普段はなるべく、理屈が通る話をする方です。しかし、もし、仮に

➀理屈ではわからないけど、経験上、再現性がある有益なこと
②理屈でわかっているが、再現性が難しいこと

の2つがあれば、私は問答無用で、①を優先させます。もちろん、人にそれを言うかどうかは別問題です。そして、意外と多くの人は同じことをするのではないかという、生活的な実感があります。

さて、皆さんはどうでしょうか。意外と役に立つ話なのかもしれないと思うのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?