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もしマイノリティでなかったら

もし◯◯でなかったら…
あの時、別の道や物を選択をしていたら…なんてことあるよね。
私の場合、年老いた今も、もしアルビノでなかったら、マイノリティでなかったら……と、たま〜に思うのです。
老人の範疇にあるのに女々しいと言うか往生際が悪いと言うか…自分でも笑ってしまいます。

同じアルビノの方が「アルビノに生まれて良かった」みたいなことを言ったり書いたりしたのを見聞きすることがあります。

本当にそう? 

私はアルビノに生まれたくなかったし、アルビノで良かったなんて一度も思ったことがないよ。

生きている上での喜びや幸せは勿論ある。
でも、それらはアルビノによって、アルビノだから得たものではない、私の場合はね。 

他の障がいや病気の人 、自分の気持ちを伝えるすべを持っていない人など、多くのマイノリティがマイノリティに生まれて良かったと心の底から思っている? 
思ってる訳ないでしょ、と私は言いたい。

 生まれたからには、生まれてしまったからには死ぬまで生きなくちゃ、アルビノという特性を持った一人の人間として死ぬまで生きなくちゃと思う。そう思うけど、グチャグチャなネガティブな想いに囚われる日が年に少なくとも1・2度あって、そんな思考から抜け出るのに半日はかかることもある。
『◯◯でなかったらなんて、そんなこと幾らでも誰にもあるし…』と言う方もいるだろう。
そりゃあるでしょ。
私が書いているのは、マイノリティであるか、ないかが起点の話。

アルビノでなかったら…
人嫌いにならなかったかも。
バイトや就職時の差別はなかっただろう。
運転免許が取れて、行動範囲が広がったり、家族の病気時に役に立っただろう…などと色々ついね。

無い物ねだりじゃない?ひねくれ者だなって、返してくる人もいるかな。
私はナントカ至上主義ではない。アルビノがいたって、LGBTだって、病気や障がいを持っていたって堂々と社会の一員として生きて良いと強く思っている。私が視力が弱いから運転免許が取れないように、それぞれの病気や障がいゆえに出来ないことはあっても、出来ることは最大限に活かす方法や場所があり、それらを支える社会って夢?

マイノリティはお荷物扱い邪魔もの扱いされていると言う事例があっても、それらを否定する人や社会は存在する。他人事だからね。

社会の方が受け付けない、差別選別するのは社会。ひいては人。私の社会への、差別者への恨みつらみは大きい。

自分や家族がマイノリティだったらと一人でも多くの人に想像して欲しい。胎児の時からマイノリティに産まれて人生を送りたいという意思を持ってこの世に誕生する赤ちゃんはいないのだから。

先程、出生前診断の議論が進んでいるというニュースをTVでやっていました。いずれマイノリティが存在しない社会が来るのでしょうか?画一的な優等生人種ばかりの社会がいずれ??みたいな想像してしまって怖くなった。

※ ここまで読んでいただきおおきにです。これまでのnoteの中でも一番まとまりのない文章になったと思います。また気付いた時に編集します。



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