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小豆島八十八ヶ所 遍路道を歩いた記録 第2回:古江庵→西照庵

歩いた日:2023年5月下旬

第2回は島の南東に位置する田浦(たのうら)半島の霊場を巡ります。前回お伝えした通り、観音寺→古江庵については写真を撮っていないため文章のみの紹介となるのでご了承ください。


第四番 古江庵(ふるえあん)

前回の最後で観音寺を出発し路地から広い道(県道248号線)に出ましたが、まずその県道を西に進みます。やがてカーブしながら坂道となり、左手に瀬戸内海、右手にホテルの廃墟が見えてきます。その廃墟を過ぎ、急カーブの下り坂に差し掛かったところで左側に階段があるので、そこを下りると今度は県道249号線に出られます。県道を左に曲がり、少し歩くと「古江庵」に到着です。

①お地蔵様にお出迎えされます

古江庵→堀越庵

古江庵を出て、田浦方面に進みます。海沿いの道のため、内海(うちのみ)湾の美しい風景を楽しみながらウォーキングを楽しめます。

②写真右奥の山が低くなっているところが名勝・寒霞渓(かんかけい)です

しばらく道なりに進むと左に分かれる道があり、堀越(ほりこし)地区に入ります。

③道端に大きめの道標 兼 記念碑が

そのまま道の突き当りから防波堤に沿って歩くと、集落内部を指さす道標があります。それに従い狭い路地を奥へ進んだ先に「堀越庵」があります。

④迷ってしまいそうですが赤い手を信じましょう

第五番 堀越庵(ほりこしあん)

⑤引きの画が撮りづらい

一見すると普通の民家にしか見えませんが、それもそのはずで、出家し世俗を離れた人が住む家を「庵」と呼ぶそう(僕も初めて知りました)。といっても普段は無人で、地域の方々が手入れしているようです。

堀越庵→田ノ浦庵 馬立峠越え

ここからは半島の先に位置する田浦地区に向かいます。通常であれば先ほどの県道249号線経由で行く方が分かりやすいうえ、道が整備されてるため歩きやすいですが、今回は敢えて「旧へんろ道」と呼ばれる馬立(うまたて)峠経由を選びました。
この道は第0回の『地図について』で触れた「Googleマップはおろかゼンリン地図や国土地理院地図にさえ載っていない遍路道」で、小豆島八十八ヶ所における難所の一つに数えられる区間なので、歩かれる際は充分ご注意ください。ちなみにこの時は『小豆島おへんろ道案内図』も『小豆島遍路地図』も持たず全く事前情報の無い状態で歩いたため、今までの道との変貌に面食らってしまいました。

庵の正面の道を直進した後、右に曲がって細い坂道を上がります。

⑥ここから約1.6km
直線距離ならあっという間ですが…
⑦坂道の途中で振り返る
Zenobiaflex Ⅱ
Kodak EKTAR100

やがて未舗装となり、岩が転がるでこぼこ道となります。雑草だらけで荒れ果てており一抹の不安を覚えますが、意を決して進んでみると白地に赤文字の札を発見。本当にここで合っていたのか…と安堵と困惑が半々。

⑧なんだか道が怪しくなってきました
⑨冬ならばまだ道らしく見えるのでしょうか
⑩この札こそ、ここが遍路道である確たる証拠です
PENTAX K10D + HD DA 20-40/2.8-4 Limited

山道と言う名の遍路道を歩きます。森に入るまでよりも、森に入った後の方が道が判りやすいというのは往々にしてあることです。

⑪森の中でも頼りになる存在
⑫矢印のみならず、時おり距離の目安も

森に入って数十分、石垣の上に鎮座する祠を発見。すなわち、ここが馬立峠であることがわかります。

⑬田浦側から馬立峠を振り返った様子

ここから先は下り坂です。途中で雰囲気が変わったと思ったら、広葉樹林から竹林に入ったようです。

⑭一枚岩で手作りした石橋のように見えます

下り坂の途中にも祠とお地蔵様が。こちらは先ほどのものより大きめです。

⑮こうして見るとバス停のような形です
⑯中にいるのは不動明王でしょうか
⑰倒木と倒竹で遍路道が塞がれていました

砂防ダム横の階段を下り、廃屋(?)の横を過ぎると、ようやく田浦の集落に入りました。後は道なりに進めば「田ノ浦庵」です。やっと着いた…

⑱ここまで来ればあと一息
⑲イノシシ避けの柵で仕切られています
閉め忘れのないように

第六番 田ノ浦庵(たのうらあん)

堀越庵と同じく庵ですが、こちらはまさにお堂といった雰囲気。焼入れされ焦げ目がついた外壁が良い風格です。

⑳小豆島の伝統的な建築様式です

寄り道 −岬の分教場−

田浦といえば、映画『二十四の瞳』の舞台となった場所で、撮影で使われたセットは現在「二十四の瞳映画村」として見学でき、島内有数の人気観光地となっています。
そして田浦に来たらもう1ヶ所寄るべき場所が「岬の分教場」です。映画村の校舎は当時の建物を忠実に再現したレプリカですが、岬の分教場には「田浦尋常小学校(後の苗羽小学校田浦分校)」として明治35(1902)年に建てられた実物が現在も保存されています。田ノ浦庵からもほど近いので、お遍路の途中で足を伸ばしてみるのもおすすめです。

㉑教室の備品も当時のものです(別日撮影)
Nikon F65 + Ai AF NIKKOR 50/1.4D
FUJIFILM SUPERIA X-TRA400

田ノ浦庵→西照庵

ここからは一気に田浦半島を引き返します。『小豆島遍路地図』では復路は県道経由で書かれていますが、『小豆島おへんろ道案内図』によると半島の南側にも遍路道があるそうなので、そちらの道で帰ることにしました。

まずは一旦来た道を引き返します。途中で先ほど歩いた馬立峠への道が左に分かれますが、そのまま直進します。再び金網の扉を通り、川沿いに少し歩いた先の階段を上ると、車1台半ほどの幅がある道に出られます。

㉒この道標、手の形が他では見ないような?
㉓再び現れたイノシシ除けの境界
今後も時々登場します

遍路道をひたすら東に進みます。馬立峠と比べると起伏が少なく、幾分歩きやすい道です(書くネタが乏しいということでもあります)

㉔ネット通信用の基地局らしき施設が
㉕堀越の街が見えてきました

堀越まで戻った後は県道249号線を逆戻り。すると右に県道248号線、左に県道28号線が伸びる丁字路に出るので、左に曲がります。

㉖こんなところにも矢印が

あとは道なりに進みます。リゾートホテルを過ぎ、緩やかな坂の終わり辺りに、今回のゴール「西照庵」があります。

第十番 西照庵(さいしょうあん)

番号で察した方も多いと思いますが、この札所は移転しています。小豆島霊場会によると、元々はここから少し先にある内海八幡神社(亀甲山八幡宮)が第十番札所でしたが、明治時代の神仏分離令によって現在の地に来たとのことです。なお、飛ばした第七番~第九番札所については後半、もっと言えば最終盤に訪れるので、その時まで気長にお待ちください。

㉗堀越庵が民家なら、こっちは公民館?(別日撮影)

次回はダムを越えたり山を登ったり山を下ったり再びダムを越えたりします。何を言ってるのか分からないかと思いますが、とにかくアップダウンする回だと捉えてもらえれば大丈夫です。

ご覧いただきありがとうございました。


今回の地図

Googleマップ・小豆島遍路地図を加工
⑩~⑰は正確な場所の特定が難しいので推定です

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